2018年1月5日金曜日

石清水八幡宮

ケーブルカーに乗って

去年のお守りなどを納めました。
石清水八幡宮をお参りしました。
初詣というよりも…
父が長い間祈っていました。
というのも三日に90歳を過ぎた父の姉が倒れたとの連絡が徳之島から届きました。
すぐにでも見舞いに行ってあげたいのですが、
まだ足や肩の具合が悪く行くことが叶いません。
男山(をとこやま) 神にぞ幣(ぬさ)を 手向(たむ)けつる
  八百万代
(やほよろづよ)も 君がまにまに

男山の神に幣を供えて祈りました。
わが君のお心のままに、未来永劫お栄え下さいませ。

男山の石清水八幡宮に後鳥羽院の長寿を祈った形だが、
箱根を越えたことのない実朝は、
鶴岡八幡宮が元来男山の神を勧請(かんじょう)したものであることから、
鶴岡に祈念すれば男山に祈ったのも同然と考えて詠んだものか。
男山 京都府八幡市にあり、頂に石清水八幡宮が祀(まつ)られている。
 麻・木綿(ゆう)・紙などで作った神への供え物。
(『新潮日本古典集成 金槐和歌集』 源実朝、樋口芳麻呂校注 新潮社 平成28年)
楠木正成公必勝祈願参拝の際奉納の大楠
北方系植物相と南方系植物相の境界に位置する男山には、
京都府指定天然記念物のクスノキの巨木があり、
最大のクスノキは根周り18m、樹高30m、樹冠40mあります。
『洛陽名所集』によると、「戦勝軍利を祈り、楠千本を八幡山にうへけり」とあり、
楠木正成公が建武元(1334)年に必勝祈願参拝の折に奉納したとされる樹齢700年にせまる大木です。
(石清水八幡宮「境内のご案内」より)
正月期間は厄除けに
気がついたら何もしないうちに「厄年」を過ぎていた(^^ゞ
お守りなどを求めました。
高校生の団体(野球部かな?)がお参りに来ていました。
たわむれに生くる勿れ・み佛は半歩すすみてみそなはします
(『もしもし山崎放代ですが』かまくら春秋社 2004年)

みそなわす【見そなはす】〔他四〕(ミソコナワスの約)
「見る」の尊敬語。御覧になる。
(『広辞苑 第六版』)
楠木正成の大楠が見えます。

  八幡大神
 この神社の祭神は、応神(おうじん)天皇・比咩大神(ひめおおかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)の三神で、
これを総称して八幡大神(はちまんおおかみ)(八幡神 はちまんしん)と呼んでいる。
武神(ぶしん)として深い崇敬を受け、特に清和(せいわ)天皇の子孫である源氏一門、
すなわち清和源氏は氏神としてこの神社を崇敬し、各地に八幡宮を勧請(かんじょう)した。
有名なところでは鎌倉の鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)は、
前九年の役(えき)で奥州の安倍氏を滅ぼした源頼義(みなもとのよりよし)が石清水八幡宮から勧請した神社であり、
のちに鎌倉幕府を開いた源頼朝も手厚く祀り、ここに幕府まで築いている。
頼義の子、源義家(よしいえ)は八幡大神の神前で元服したことから「八幡太郎(はちまんたろう)」と名乗ったことも有名だが、
ここにも源氏の八幡信仰が深さが察せられる。
源氏の末裔である足利氏も徳川氏も八幡大神を深く崇敬した。
 神社本庁の平成調査では全国神社総数79335社のうち、八幡大神は7817社と最大数であった。
調査対象神社の約1割が八幡神ということになり、いかに日本人の広い信仰を集めていいるかが知られる。
(『歴史でめぐる洛中洛外(上)上京・下京』井上満郎 淡交社 より抜粋)
帰りは、父と別れて天満橋で書店に寄り
『芭蕉全発句』(山本健吉著 講談社学術文庫)を購入。
ラーメン店でお昼を食べました(^。^)
淀屋橋のスポーツ店でマウスピースを購入しました。
と言うのは4日目が覚めるとマウスピースが割れていた…(^_^;)
歯科の予約が9日なのでそれまでの間、
歯を守るために購入しました。
 久しぶりにドーナツを食べたくなったので一休みしました(^▽^)

帰ってきてしばらくすると父が嬉しそうに部屋を覗きました。
と言うのは、伯母が「家に帰りたい」と
しっかり返事するほど回復したと田舎から電話連絡があった!(^^)!
父と八幡さんにお参りしてよかったなと話していました(^_^)v