2017年12月30日土曜日

次第に青空が広がってきました(^-^)

初めは曇っていましたが、次第に青空が見えてきました(^-^)
駐車場で出発前に車のワイパーを上げて窓の埃を払おうとしたら
ワイパーのゴムがだらんとしました。
そう言えば、先日からワイパーを動かすと変な音がするなと思っていたら
ゴムが劣化していたための音のようです。
父と、母が教えてくれたんだなと話していました。
というも明日の天気予報は、曇りのち雨です。
帰りにガソリンスタンドでワイパーを交換してもらいました。

 つごもりをとまり所(どころ)かとりのとし

大晦日をひかえた歳暮の句。
とり年の今年も残すとまり所もあとわずか。
  原句「つこもりをとまり所かとりのとし」
(『捨女句集』)
アオジ(L:16cm)
雄では頭と頬が緑灰色で、目先から嘴の付け根は黒味が強い。
背は緑灰色黒い縦斑があり、腰は茶褐色。
翼には2本の淡色帯がある。
下面は黄緑色で顎線と胸から脇にある縦斑は灰黒色。
雌では頭と頬が灰緑色,眉斑(びはん)と下面は淡黄緑色で黒い顎線と胸には従斑がある。
声:ツッ,ツッとカシラダカより強く鳴く。
 チョッピーチョッ、チチクイチリリなどとゆっくりしたテンポでさえずる。
習性:本州中部では標高1,000mくらいの明るい林や林縁で繁殖するが、
北日本ほど低い標高でも繁殖。
冬期は暖地や低地へ移動し、市街地の公園や庭にも来て、
やぶの中でツッ、ツッと鳴き、暗い木かげの地上で餌をとる。
(『フィールドガイド 日本の野鳥』)
 鳥は、好みのエサがある所をすばやく見つけ、集まってきます。
ですから、鳥の好みの食物を知っていれば、その場所がある所をさがすのが、
鳥を見つける近道ということになるわけです。
 木の実を好む鳥は数多くいます。
公園や林で実のなる木をさがしてみて下さい。
木の上ばかりでなく、地面にこぼれた実を食べに来る
キジやヤマドリのような鳥もいますから、下の方も忘れずに。
 牧場などのたい肥置き場には虫が多いので、虫を好む鳥が集まります。
ゴミ捨て場にも、カラスやカモメ類、トビなどの雑食性の鳥がやってきます。
 水辺では、潮の引いた干潟が大きなエサ場です。
小さな虫、カニや小魚などを好むシギ・チドリ類がたくさん集まります。
川や池の岸辺もエサのとりやすいところです。
 海では、エサの魚が群れになっている所に鳥が集まり、山のように見えます。
漁をする人たちは、この鳥山を漁の目安にします。
人間が鳥の習性を利用している例でしょう。
 また、エサのあるところで食べずに、安全な場所まで運んで食べる鳥もいます。
そんな場所では、白いふんが点々と落ちていたり、未消化物をはき出した跡があるので、
離れて待っていると、鳥に出会えるはずです。
 鳥がどんなエサを好むか、たくさん知っていればいるほど
いろんな鳥に出会うチャンスが多くなるので、調べてみるとよいでしょう。
(『野鳥ブックス1 BIRD WATCHING―野鳥と出会うために』日本野鳥の会 1981年)
キセキレイ
 九州以北で繁殖し、北の地方や山地のものは冬、暖地へ移動する。
平地から山地の川、池、湖沼等にすみ、市街地の公園の池や川にもいる。
水べの地上を歩いて昆虫やクモをあさり、立ちどまって尾羽を上下に振る。
飛び立って空中でカゲロウ等をとることもある。
木の茂み、石垣の間、がけの凹み、人家のすき間、橋の下等に巣を作り、
おすは木のこずえ、電線、屋根、石等にとまって
チチチッチチチチッ、ツィツィツィとさえずる。
屋根の上を歩いていることも多い。
大きな波形をえがいてチチン、チチンと鳴きながら飛ぶ。
イシタタキ、ケツフリ、チンチンドリ等、地方名は多い。
(『自然観察シリーズ[20]<生態編>バードウォッチング』
     高野伸二 小学館 昭和58年)
とりあへず はかなく暮れて ゆく年を しばしとどめむ 関守(せきもり)もがな

見る間にあっけなく暮れてゆく年を、
しばらくの間でも留(とど)めてくれる関守がいてほしい。
(『金槐和歌集(旧版)』昭和56年)

明日が、大晦日ですが、旧暦では30日までしかなく、今日が大晦日ですね(^_-)
旧暦の12月30日は、2月15日になります)
白バラの花よりかおりたつごとく この身を離れのぼりゆくらむ  永井 隆
(『昭和萬葉集 巻九 冷戦の谷間で
   ―朝鮮戦争 昭和25年~26年』講談社 昭和54年)

永井隆博士の辞世の句です(1951年5月1日逝去)。
とどめおきて誰(たれ)をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり
      和泉式部(後拾遺集・哀傷・568)

  この世に残してあの子は誰を愛惜(あいせき)しているだろう。
  きつと子供のほうだろう。
  私もわが子のあの子が誰よりもいとおしくてならないのだから。

 和泉式部は最初の夫である橘道貞(たちばなのみちさだ)との間に、
小式部内侍(こしきぶのないし)という娘がいました。
『小倉百人一首』に「大江山(おおえやま)」の歌が入っている、歌人としても有名な人ですね。
その小式部内侍が死んだ時の歌です。
彼女は、藤原教通(ふじわらののりみち)・範永(のりなが)・公成(きんなり)といった
貴族たちとの間に三人ほどの子を成しましたが、
万寿(まんじゅ)2年(1025)に、29歳くらいで亡くなりました。
和泉式部にとっては、わが子を喪(うしな)ったことになります。
そして後にはまだ幼い孫たちが残された。
その孫たちをつくづくと見て、詠んだ歌です。
子が死んで、孫が残された。
あなたがその立場だったらその悲しみをどう表現するでしょう。
和泉式部の身になって考えてみましょう。
(後略)
(『古典和歌入門』)

 省略した後半を読んでなるほどと思いました。
(オススメの本ですよ!)
心筋梗塞を発病し集中治療室で治療を受けている時に
毎日見舞いに来てくれる母や父の顔を見るたびに
母よりも先に死んだら、母がどれほど悲しむかと思うと
なんとしてでも生きて退院しなくてはと思いました。
そして退院できた時に、心臓が上半分壊死していたため働くことを諦めましたが
そのおかげで母との時間を持てたと思うようになりました。
もし、仕事ができるほどの体力があったなら
母が入院した時も仕事のために思うように看病できなかったでしょう。
病気で自由に行動できなくなりましたが、
母との時間を神様がくださったのだと思います。
今朝の父が撮影したお気に入りの一枚です(^-^)
σ(^_^;は、気がつかなかったのですが、
水仙が咲いているのを撮していました。

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    >次第に青空が見えてきました(^-^)
    はぁ~い、こちらも久しぶりに夕方まで青空でした。
    もちろん、お布団も干せました。(^^)/

    お母様との時間を大切に出来てよかったです。
    お父様の撮られた水仙、凛として好きな花です。
    撮りたくなる花ですよね。(^^)/

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    1. カイさんこんにちは(*^O^*)/

      昨日の青空が、今朝はどんよりとした冬空でした。
      東京では初雪が降ったそうで、寒さは辛いですね…

      病気をすることは悪いことばかりではないなと思うようにしています。

      父は、散歩などをするときはいつも母の写真を胸からさげて
      母にも花などを見せてあげているようです。
      水仙もきっと母に見せてあげながら撮していたのだと思います。

      今朝の皇室アルバムを見ていて阪神淡路大震災の時に美智子さまが白い水仙の花を献花されていましたね。

      春を待つ希望を託されていたのだと思いました。

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m