2017年11月5日日曜日

穏やかな秋晴れ(^-^)

色づいているのは一部だけですが…


みやこにはまだ青(あを)葉にて見(み)しかども
       もみぢちりしく白河(しらかは)の関    源頼政

頼政は、青葉から紅葉までの時間経過と、
みやこと白河の関とのへだたりを対比させている。
(『岩波現代短歌辞典』)
「雑草の方が東村らしくていい」と誰かがいい、
     僕もそうだといい、遺骸をうずめる。  渡辺順三

 東村=矢代東村。大正から昭和にかけて、口語歌運動、
プロレタリア短歌運動に活躍した生活派の歌人。
(『昭和萬葉集 巻十 
    独立日本 昭和27年~29年』講談社 昭和54年)

柊咲くあとはこぼるるより他なく  加倉井秋を
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
鳥渡(とりわた)る 渡り鳥 候鳥(こうちょう こうてう) 旅鳥

 秋になると燕のような夏鳥は南へ去り、
代ってシベリアやカムチャッカのような北国から、
ツグミ、マヒワなどの小鳥の大群が海山(うみやま)を越えて渡って来ます。
これを、鳥渡るとか、渡り鳥とか言って季節の詞(ことば)としています。
 椋鳥(むくどり)や鵯(ひよどり)なども日本の北部から南部へ移動して行きます。
 十月ごろ、東北線や信越線の列車の窓から空を注意して眺めていると、
小鳥の大群が飛ぶのを見ることがあります。

(がん)や鴨(かも)が列になって飛ぶのも見かけますが、
こういう大きな鳥は、普通、鳥渡るという季語の中には入れません。
 目白(めじろ)とか四十雀(しじゅうから)とかは山から平野へ移動して、
秋になると私の家(うち)の庭にも飛んで来ます。
これも「鳥渡る」でしょう。
小鳥が渡って来て、庭の瓶(かめ)の水を飲むのを見ると、
秋も深まってきたことを思うのです。

(『私の季語手帖』井本農一 小学館 1998年)
逆光で眩しいうえに
ジ~ッとしてくれない…(@@;)
キクイタダキに会えたのにピントも露出も合わせることができなかった(ノД`)
昨日、室内での撮影は厳しいと呟いたコンデジですが
外での撮影には十分だと思います。
メーカーのサイトの「生産終了品」には載っていないのですが
検索すると使用説明書はまだネット上で見ることができました(^▽^)
このコンデジを手放せないのは電源が単3電池なんです(^_-)
ちなみに写っているのは父用にしている別のコンデジ(生産終了品)です。
オオカマキリの卵鞘(らんしょう)を見つけました(^_^)v
このふた月あなたの声を聞かないがコスモスだけが庭に溢(あふ)れる  永田和宏
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』)
父が撮影した画像の1枚です。
こんな小さな穴に種が入り込んだものだと感心して撮したそうですp(^-^)q

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