2017年11月14日火曜日

歴史講座に参加

午前中は、注意報のメールが届くほどの雨…
冷たい雨に濡れると風邪を引くので散歩は諦めて耳鼻科を受診。
その後、父と妹と買出しに出かけました(^^ )


午後からは、興味があっても学ぶ機会がなかった大塩平八郎の講座に参加しました。

大塩平八郎と守口~「大塩の乱180年」によせて~
  藪田 貫(やぶた ゆたか 大塩事件研究会会長、兵庫県立歴史博物館館長)

 天保8年2月19日早朝、元大坂町奉行所与力大塩平八郎が、
与力・門弟ら約30名が武装して決起。
檄文を撒いて参加者を募り、200名の軍勢で、

天満から北浜・内本町から東町奉行所を目指して行進。(配付資料より)
その 「檄文(複製)」
長い檄文を見ると横に三本筋が入っているのが見えます。
これは、彫り師に彫ってもらうのに内容が分らないように四分割していたそうです。
城方軍勢の反撃にあい、淡路町の銃撃戦で敗れ、敗走。
大塩と格之助は逃亡・潜伏するも3月27日、潜伏先を見つけられ、包囲されて、家に火を放ち自決。
天満・船場北部が焼失。

(配付資料より)

大塩が潜伏したのは1837(天保8)年2月19日挙兵する前日に幕府へ建議書を送っていて
その返事を待つために潜伏していたようです。
大塩平八郎が開いた私塾・洗心洞の門弟が北河内に多くいたことが分りました。
今回、今まで読んだ歴史書では書かれていなかった
門弟たちの子弟について話しがあって興味をもったので
飯島和一著『狗賓童子の島』(司馬遼太郎賞受賞作)を読みたくなりました(^_-)
また、大阪春秋・秋号『大塩の乱180年特集号』を参考にして町歩きをしたいと思っています(^_^)v

○ ○ ○ ○

夕食を食べた後、妹を送っている途中で思い出したことがありました。
昨夜の夢に義弟が出てきました。
そのことを妹に話すと、ビックリしていました!
と言うのは昨夜、仏壇に向かって夢に出てこないから
さんざん文句を言ったそうです(*゜∀゜*)
と言うことは、妹の夢に出てくると怒られると思って
σ(^_^;の夢の中に出て来た時に苦笑いしていたのかな?
母のように霊感は働かないのだけどな…(^_-)