2017年10月20日金曜日

降ったり止んだり…

天気予報では午前中は曇りだったけど…


あと先に人声遠し柿紅葉  暁 台
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
わが傘の影の中こき野菊かな  杉田久女             
(『日本の詩歌30 俳句集』 昭和45年)
ミゾソバ(タデ科)

人妻の暁(あかつき)(おき)や蓼(たで)の雨
  郷君(がうぎみ)の暁起や蓼のあめ

○蓼(夏) 小川や沼などの湿地に生ずる一年草。
夏、その葉を採って辛味に賞する。
▼早朝に起き出して家事にいそしむ人妻の姿と、流し元の小溝に自生する蓼に降り注ぐ雨の取り合わせ。
盛夏の雨は農作に不可欠な慈雨として、農家の人々の心を弾ませる。
「郷君」は、漢語「郷君(きょうくん)」、もと貴人の妻で封土を持つ者のこと。
訓読して豪農の内儀の意に用いたか。
(『蕪村全集 第一巻 発句』)

ここで詠まれている食用の蓼は、ミゾソバではないと思うのですが(^_-)
重い雲をしょって行く所がない
(『ずぶぬれて犬ころ』住宅顕信 中央公論新社 2002年)
薔薇よ薔薇むかし吾が手の哀しくて
(『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 川村蘭太 新潮社 2011年)
ササグモが朝ご飯を食べていました(ヨコバイの仲間?)
  風船をつれコスモスの中帰る  石原八束(やつか)

 子供と一緒に遊園地へ遊びに行き、風船を買わされ、コスモスの咲く中を帰るというので、子供とコスモスはよく似合いますね。
 私も若いころ、「コスモスの遊園地まで子を送る」とつくったことがあります。
(『私の季語手帖』井本農一 小学館 1998年)
実南天煩わしきは振り向かず  永津短夜
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
 百性も藁(わら)で作つた物でなし  雪曙

武士に対する怒りが出ている。
「下層の人間であっても、熱い血は流れているのだ。あまりばかにするな」と言いたいし、
「一寸の虫にも五分の魂がある」というのである。
藁人形のかわりに、人を斬りたい武士のためし斬りを思わせる。
ただし、この場合は、土下座の頭でもけとばして歩いたのでもあろう。
百性。性は姓に通じて使用。
(『黄表紙 川柳 狂歌
  浜田義一郎 鈴木勝忠 水野稔 校注 小学館 昭和46年)
 山家集 中 恋 669
日を経(ふ)れば 袂(たもと)の雨の 脚(あし)そひて 晴るべくもなき わが心かな

逢った後、日を経てもなかなか逢えないので、
袖に涙の雨脚が激しくなり、晴れるはずもない自分の心だよ。
◇袂の雨の脚そひて 袂に流れる涙を激しい雨脚にたとていう。
「雨」「晴る」は縁語。
(『山家集』)

0 件のコメント:

コメントを投稿

申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m