2017年10月12日木曜日

国立京都博物館(国宝展)~三条

 朝、9時半前に到着しましたが入り口は遠かったです(^0^;)
京都国立博物館「開館120周年記念 特別展覧会 国宝」
入館しても展示室へは遠かったです…
大勢の入場者の間から全部の展示を見るのは諦めて…
土偶の「縄文の女神」、「仮面の女神」、「縄文のビーナス」
六道と地獄を描いた 「地獄草紙」、「病草紙」
中世絵画では雪舟の「慧可断臂図」
近世絵画では「風神雷神図屏風」
 サイトには紹介されていませんが「信貴山縁起絵巻(山崎長者巻)」などを
見ることができて満足です(^_^)b
4期に分けて展示の入れ替えがあるので、また来たいと思います。
中学生たちが見ているのは「方広寺石塁
 史跡方広寺石塁および石塔(昭和44年4月12日指定)
「耳塚(鼻塚)」
 この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、
朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592~1598年)にかかわる遺跡である。
秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級のかわりに、
朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。
それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたれたという。
これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりである。
「耳塚(鼻塚)」は、史跡「御土居」などとともに京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、
塚の上に建つ五輪の石塔は、その形状がすでに寛永2年(1643)の古絵図にみとめられ、
塚の築成から程ないころの創建と想われる。
秀吉が巻き起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗によって敗退に終わったが、
戦役が遺したこの「耳塚(鼻塚)」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、
歴史の遺訓として、いまに伝えている。
   京都市 平成15年(2003)3月
お昼に鳥天定食を食べました(^-^)
体調が悪い時は、揚げ物を避けていましたが、
美味しく食べることが出来るようになりました(^_^)v
「六波羅飯店」(赤→)です。
隣(黄→)は「サガン (SAGAN)」(「とろろごはん」がお気に入りです)
「平清盛塚」(左) 、「阿古屋(あこや)塚」

 阿古屋塚
阿古屋の菩提を弔うため鎌倉時代に建立す。
石造宝塔は鎌倉時代の作で、その下の台座は古墳時代の石棺の石蓋を用いている。
 歌舞伎 壇浦兜軍記「阿古屋」
平家の残党 悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五條坂に住む白拍子阿古屋を捕え、
代官秩父庄司重忠は阿古屋に景清の所在を問い質す。
阿古屋は知らぬと申し開きをするが、詮議のために弾かせた琴、三味線、胡弓などの調べに
一点の乱れのないことに感動した重忠は阿古屋が景清の所在を知らぬことが真実であると知り釈放する。
「阿古屋の琴責め」とも称される。
平家物語の裏面に隠された「阿古屋」の悲恋を語り伝えるためにこれを記す。
   平成二十三年十一月吉日
       五代目  坂東 玉三郎
       第六十五世山主  純性
宝物館で空也さんにお会いしました(^-^)
若い女性もいたのですが、その方は、西国巡礼をされているみたいで
宝物館を見学の後、ご朱印をいただいていました。
西国巡礼の札所を廻っていると巡礼をしている若者に時々出会います。
( 運慶作の地蔵菩薩坐像は、東京国立博物館に出張中です。)
 恵美須神社(えびすじんじゃ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大国主神を祀る。
社伝によれば、建久2年(1191)、栄西禅師が宋(中国)よりの帰途、
舟が暴風雨に遭い遭難しそうになったが、海上に恵美須神が現れ,
その加護により難を免れたといわれ、建仁2年(1202)、建仁寺創建に当たり、
境内に恵美須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのが当社の起こりである。

応仁の乱後、建仁寺再建の際も同所に再建され、
今もなお当地の産土神
(うぶすながみ)として人々の崇敬を受けている。
境内の岩本社には、平安時代の歌人在原業平(ありわらのなりひら)を祀っている。
また、財布塚・名刺塚は、古くなった財布や名刺の供養のため築かれたものである。
毎年1月10日を中心として前後五日間行われる「十日ゑびす」の大祭には、
全国各地から商売繁盛・家運隆昌・交通安全を祈願するため多くの人が参詣する。
  京都市
正面にお詣りの後
左側の奥へお廻りになってお詣り下さい
」と書かれていました(^_-)
こんなお願いが書かれていました(^_-)

優しくトントンと叩いてください
(ゑびす様のお肩をたたくお詣りです
ノックをされるように優しくお願いいたします)
てくてく歩いていたので六曜社で一服。
好きな喫茶店ですが、喫煙可なので煙草の苦手な方は無理かな?
瑞泉寺は、観光客が気がつかずに通り過ぎてしまうようなお寺です。

太閤記の寺
瑞泉寺
(ずいせんじ)
 慈舟山(じしゅうざん)と号し、浄土宗西山禅林寺派に属する。
豊臣秀吉の甥、豊臣秀次(ひでつぐ)一族の菩提を弔うために建立された寺である。
 秀次は、秀吉の養子となり(*秀次の母「とも」は秀吉の実姉。)、関白の位を継いでいたが、
秀吉に嫡男秀頼
(ひでより)が生まれてからは、次第に疎んぜられ、
文禄4年(1595)年7月、高野山において自害させられた。

次いで、8月、秀次の幼児や妻妾(さいしょう)たち39人が三条大橋西畔の河原で死刑に処せられた。
遺骸は、その場に埋葬され、塚が築かれ石塔が建てられていたが、
その後の鴨川の氾濫などにより次第に荒廃した。
慶長16年(1611)、角倉了以
(すみのくらりょうい)が高瀬川の開削中にこの墓石を発掘して、
墓域を再建するとともに、その地に堂宇を建立した。
これが当寺の起こりで、僧桂叔(けいしゅく)を開基とし、
寺号は、秀次の法号、瑞泉寺殿をとって瑞泉寺と名付けられた。
本堂には本尊阿弥陀如来像が安置され、寺宝として秀次及び妻妾らの辞世の和歌を蔵している。
また、境内には秀次の墓及び幼児・妻妾や殉死した家臣らを弔う49柱の五輪塔がある。

             京都市
*瑞泉寺の創建から4年後、慶長20年(1615年・元和元年)
 大坂城が落城して秀頼と淀君は自害し、豊臣家は滅亡した。
   記
 この堂の中央に安置された地蔵菩薩像は、秀次公一族の処刑の際、
四条・大雲寺の僧「貞安上人」が刑場の一隅にその木像を運び込み、
次々と打たれる子女達に引導を授け続けた、と伝わる尊像です。
 極楽浄土へ死者を導く「引導地蔵尊」として京洛の人々に今日なお崇敬されています。
 (「定朝」作寺伝)
  各位の参拝憶念をお願いします。 住職
 堂内に刑死された女性方や子供たちの小像が奉られています。

 左右の脇壇に安置する人形は、寺宝「秀次公並びに御一族・三幅」に描かれた女性と子ども、
殉死した主な家臣の像を写したものです。
 昭和16年、松下幸之助氏らの財団法人「豊公会」は、
秀次公一族の没後三百五十年の記念事業として、この地蔵堂の改修や、
妻子・家臣など四十九霊供養の五輪石塔の奉立など、
当寺の整備に尽力されましたが、この人形もその時代に作られました。

 豊臣秀次公の人間像や、その事件の真相、或は一族の悲劇については、
まだまだ多くの「謎」に包まれております。 (住職)
 この墓域は慶長16年創建の時に築かれました。
正面三基の墓石は当時のもので、中央正面の古石は秀次公の御首を納めた「中空の石びつ」で、
正面右下に<七月十五日>の文字が読めます。
周囲の五輪の石塔は後世に建てられました。 合掌
かすかに文字が見えます。

秀次公が文禄4年7月15日に自害したことを表わす。
 この御堂は、當寺付近の町内・中島町の「お地蔵さん」で、
中には小さな石仏が安置されています。
中島町は、京都の古い地図にも記載された町内で、
「中島」は「中の島・中州」を表し、秀次公一族の処刑が行われた当時は、
この付近一帯が鴨川の大きな中州であったことを今に伝えています。
「三条小橋商店街」として現代にも生きる町内です。
   瓦の「消された菊花紋」
 下に並べられた古瓦は、当寺の旧山門の瓦ですが、
どれも中央の菊花紋がセメントで塗りつぶされています。
 これは、明治元年の神仏分離令による廃仏毀釈の大嵐の時、
天皇家にはばかって寺が「菊花紋」を自主的に消したものと思われます。
 現在も本堂の屋根などに同じものが数多く認められます。
どれも、当寺の歴史を語る貴重な資料だと考えます。 住職
七条~三条へとかなり歩いたので、小腹がすきました(^^ゞ
篠田屋で中華そばを食べて満足です(^▽^)
隣の席に若いお坊さんが席に着かれて「カツ丼」を頼まれていました。
辛い修行をして下界におりてきて食べたかったのかな(^_-)
学生時代、三条の軽食・喫茶のお店でアルバイトをしていた時に
年配のお坊さんがステーキを注文されたのを見てビックリしたことがあります。
それに比べたらカツ丼はかわいいな(o^^o)

○ ○ ○ ○

京都を歩いている間、姪から沖縄便りが届きました。
その中から1枚。
父が母の故郷の海を訪ねていました。
天気予報では、雨の心配があったのに快晴!
姪が「海メッチャ 綺麗☆」と興奮してました(o^^o)
母が沖縄の青空や海を見せたかったのだろうなp(^-^)q

2 件のコメント:

  1. こんにちは~

    沖縄の綺麗な青い空青い海でお母様と楽しいおしゃべりができたことでしょう!!

    >入館しても展示室へは遠かったです…
    是非に行きたいと思っています。
    入館までも遠そうなので体調と相談しながら。。。(^^♪

    >篠田屋で中華そばを食べて満足です
    いつも聞いていますので想像できます。(^^♪
    美味しかったことでしょう!!

    返信削除
    返信
    1. カイさんこんばんは(*^O^*)/

      天気予報では曇り時々雨だったのに
      姪が感激するほどの青空でした(o^^o)

      国宝展は、出品数が多いので、事前に見たい物を搾っている方がいいと思います。
      そんな国宝は多くの人が見たがっていると思いますが…

      篠田屋さんの中華そばはエブリーさんのお気に入りですよね(^_-)
      500円でこの味、+100円で大盛なんですから(≧◇≦)
      庶民の味で、庶民の味方です。
      今回も外国の方が来店しておられました!

      削除