2017年9月26日火曜日

秋晴れの彼岸明け

今朝は、秋晴れで、彼岸明けですね(o^^o)

 彼岸会(ひがんえ)
春分と秋分の日を中日(ちゅうにち)として前後3日、計7日の間に修される法会(ほうえ)
この行事は日本にのみ見られるもので、聖徳太子の頃より始まったともいわれるが、
平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化した。
また在家の信者はこの間、寺参りや墓参りを行うのがならわしとなっている。
彼岸は悟りの岸(悟りの世界)という意味で、此岸(しがん)
すなわち迷いの岸(迷いの世界)に対する。

このため、彼岸会とは悟りの世界に向かう、仏道精進の行事とも解される。
また観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の日想観に由来し、
春分と秋分に、西に沈む太陽を通して弥陀
(みだ)の西方浄土(さいほうじょうど)を観じたことに由来するともいう。
それが日本の祖霊崇拝によって変容し、
先祖供養の法要とか墓参りを意味するものとなり、日本独特の彼岸会となったとされる。
(『岩波仏教辞典(旧版)』)
カタバミ カタバミ科
 カタバミの果実は熟してくると、ちょっと触っただけでパチパチと破裂して、
赤茶色の小さなタネを撒き散らす。
子どもの頃、遊んだことがある方ならよくご存じだろう。
けっこうな勢いでタネを飛び出させるので、子どもの薄い皮膚にとっては痛いほどである。
そのタネの一つ一つには、エライオソームという餌が付いていて、蟻はこれを好んで集める。
カタバミは自力でタネを遠くにはじき飛ばすだけでなく、
蟻の運搬力にも頼ってタネを散布するのである。
もっとも蟻が運ぶ先は巣穴なので、遠くにタネを飛ばしたつもりが、
蟻のせいで親元に帰ってくるというようなことも、十分あり得る。
 蟻の巣穴の周りはよく掘り返されているうえ、食べかすなどが多く地味も肥えているため、
植物にとっては、根を張るのが容易というメリットがある。

そうして生えたカタバミの株には、日本で最も身近な蝶の一種、ヤマトシジミが飛んできて卵を産み付ける。
カタバミの葉は蓚酸
(しゅうさん)で酸っぱいのだが、
ヤマトシジミの幼虫はそれを苦にせず食べるのである。
葉の色には、紫のものと緑のものの二系統がある。

(『スキマの植物図鑑』)
ツユクサが見上げていたイヌタデの花言葉は
あなたのために役立ちたい」だそうです(^。^)
(たに)の小藪(やぶ)に雀はとまる (と)めてとまらぬ色(いろ)の道

(略)
一首は、「とまる」「とまらぬ」の語呂と、自然の情景から一気に「色の道」に転じた機智の面白さが中心。
(略)
(『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』)
カナムグラ(雄花)

山家集 上 秋 471
   嵯峨に住みける頃、隣の坊に申すべきことありて、まかりけるに、
   道もなく葎(むぐら)の茂りければ
たちよりて 隣とふべき 垣に添ひて ひまなく這(は)へる 八重葎(むぐら)かな

・「坊」  僧房
申すべきことがあって、たちよりお訪ねしなければならない隣への垣にそって、
道も分からないまでに一面に生い茂っている八重葎であることよ。
◇八重葎 「葎」は蔓草の総称。「葎の宿」のごとく、荒廃したものの描写として用いられることが多い。
(『山家集』)
行き行きて倒れ伏すとも萩の原  河合曾良(そら)

 芭蕉の『おくのほそ道』の旅に随行したのは曾良であった。
旅も終わり近くに、病のために芭蕉と別れ一人先を急ぐことになる。
そのときの留別吟。
病を持つ体では行く先いつ倒れて死ぬかもしれないが、美しい萩の原があるから心残りはない。
風雅を志す俳人として、萩の原は死に場所としてふさわしい、と本懐を詠んだものだ。
(略)
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)
真っ白い布で包んだ、細長いものを畳の上に落とした。
彼は如何にももったいないことをしたように、少しあわててそれを両手でとりあげた。
「あんた、それ何かな。」
と私がきくと、彼はあらたまった調子で、
「これはわたしのお母さんの位牌なんだよ、母はぼくが十一歳の時、
三十三歳の若さでうちの井戸に飛びこんで自殺したんだ。
父は悪人ではなかったが、女に弱かったらしい。
お金はあるし、妾を二、三人ももっていて、
その日、おこうと言う妾をつれて別府へ遊びに行ったらしい。
ぼくはうらの方の納屋で、五、六人の友達と芝居ごっこをしていた。
ところが妙に母屋の方がさわがしいので走って行った。
母はその時、もう井戸のほとりに引きあげられていた。
僕は〝お母さん〟と言って抱きついたが、何んの返事もなく、体は冷たく、顔は紫色だった。
泣いている僕を近所の人が引きさくようにしてのけ、子供はあっちへ行けと叱るように言った。
その時の母の姿がこの年になっても忘れられないのだよ。」
ここまではよく聞こえたが、彼はテーブルの上に涙をぽろぽろこばして、声をつまらせて語りつづけた。
私たちは、あの飄々として来り、淡々として飲み、
うしろをかえりみないで去ってゆく山頭火とはまったく別人のように感じた。
「僕が自殺未遂から救われて出家したのはいつも言うように、世に処するすべを知らず、
いたずらに妻や子を困らせる己れの愚かさをもてあましたからでもあるが、
もともと、母の死のことが頭をはなれなかったのだ。
早稲田大学の図書館で、古い仏書を読んでいたらね、
もしその家の一人が出家して僧になると、
その祖先の中で成仏することの出来ぬ迷った亡霊がいた場合、
出家の功徳によってその亡霊は必ず成仏する――とあった。
その時から僕は出家しようと思っていた。
父を恨んであのような死にざました母は仏となっていない。
その母を仏にするためにね……」

(『山頭火の道』 昭和58年)
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ
(『句集 指環』)
クサギ
花の蜜は長さ2~2.5cmもある細い筒の中に貯められる。
この極細のカクテルグラスから蜜を吸えるのは、
細いストローを常備している蛾や蝶の仲間だけだ。
赤い色は昼間飛ぶ蝶への、白い色と香りは夜の蛾へのシグナルだ。

(『野に咲く花の生態図鑑』)

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