2017年9月23日土曜日

彼岸の中日

今日は「彼岸の中日
暑さ寒さも彼岸までというけど、今朝は蒸し暑かったです(^_^;)

   雨
     ――マザーグース

雨がふる、みどりの草の上
 雨がふる、木の上に
雨がふる、家の屋根に
 でもぼくの上にはふってこない

訳では「雨がふる」としたが、この詩の rain はすべて命令形。
よそには降ってもぼくの上には降ってくれるな、とうたっている。
(『対訳 英米童謡集』)
秋の野を分(わ)くとも散(ち)らぬ露なれな玉(たま)咲く萩の枝を折らまし

▽玉のような露が置いたままの萩の枝を折れない嘆き。
(『西行全歌集』)
わしは此の町(ちやう)の軒端(のきば)の雀、声で聞き知れ名を呼ぶな

わし」は、今では男が目下の者に使う尊大の自称だが、近世では主として女性語。
」も、「吉原雀」「楽屋雀」など、そのさえずりの騒がしさから、
「おしゃべり」とか「その内情に詳しい人」にたとえる。
(略)、辻君、傀儡女(くぐつめ)など、下等な遊女をさす隠語にも用いる。
此の町」も色町と解されるので、歌意は、
一説のように「軒端の雀」(格子内の張見世女郎)が、
「私の話し声(合図)でそっとさとれ。名を呼んだら、
他人に二人の仲をさとられてしまうもの」ぐらいの意かもしれない(西沢氏)。
(略)
(『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』)
 公園では別行動なのですが、
帰り道、父に追いつこうとしていたとき
先で立ち止まった父が胸から下げている母の写真を
野の花に向けて語りかけていました。
Kazeも道々、母と話をしながら歩いています。
 (略)
 亡くなった人は、その人のことを思い出す人がこの世にいる限り、
その魂は死ぬことはない、という考え方があります。
愛する人を亡くしたときの、ほかのどんなものでも埋められないような喪失感や悲しみは、
時間によって癒やされる部分はあっても、決してなくなることはないもの。
けれどもこういった節目節目の日に故人を思い出し、
心の中で語りかけるようなことを重ねていくうちに、
その悲しみはいつか自分の心の一番深い部分を
支えてくれる大切なものに変わっていくような気がするのです。

(略)
(『和ごよみで楽しむ四季暮らし』)
スズメが羽づくろいをしていました(^-^)
でも、すぐに辺りを警戒しています。
これを何度も繰り返していましたp(^-^)q
親のことかつておもはず夾竹桃
(『句集 指環』)
クズ マメ科
人とのつき合い方
 陽光を受けて黄金色に輝くクズの実(莢・
さや)は、冬になってもすぐには落ちない。
なかにはしいな(扁平で濃茶色)と、ほかに2種類のタネが混在する。
淡茶色のタネは湿るとすぐに発芽するが、数はごく少ない。
大半は斑
(まだら)模様で、こちらは硬くて日常の条件下では発芽しない。
クズの実生苗
(みしょうなえ)を野外でほとんど見ないのはそのためである。
古来、人は蔓や葉・花・根に至るまで利用してきたが、実とタネの利用は聞かない。
使われることのないまま、非常時にキープしておくのはクズの作戦ともいえる。

(『花の果て、草木の果て 命をつなぐ植物たち』)

しいな」(粃・秕)に傍点(・・・)
巻第二十 4376
旅行(たびゆき)に行くと知らずて母父(あもししに言申(ことまを)さずて今ぞ悔(くや)しけ
  右の一首は、寒川郡(さむかはのこほり)の上丁川上臣老(かみつよぼろかはかみのおみおゆ)

こんなに遠く家を離れることになるとも知らないで、母父に挨拶も申さず、今こそ悔やまれるよ。
「行くと知らずて」 防人に徴されてゆくことは最初から知っていたが、
実際に旅を経験してみて、予想をこえる長旅であることを知った、そのことをいうか。
「母父」 オモチチの訛り。東山道の歌は比較的父母の順が多く、東海道は母父。
「寒川郡」 栃木県下都賀郡南部。
(『万葉集(四)』)

 σ(^_^;も「母父」と表記したいな…

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