2017年8月21日月曜日

歌声が小さくなった…(^。^)

まだまだ暑いのに出てきたんだ!
テントウムシは暑がりで寒がりなのでまだ夏眠していると思っていました(^^ )
田んぼにはネットが張られていました。
 成長したヤゴは、水面から顔を出して
注意深く周囲の様子を確かめ、水からはい出していく。
場所が決まると体をゆすって足場がしっかりしていることを確かめ、羽化を始める。
途中、腹部が中ほどまで抜けたところで一休みするが、
この時抜け殻にぶら下がるように体が反り返るものと、
抜け殻の上に立ち上がるようになるものがいる。
腹部を抜くと翅が伸び始める。
この時草などにひっかかってしまうと、伸びきらないまま固まって飛べなくしまうので、
羽化場所の選択は重要だ。
 抜け殻はしっかりとツメを立て、羽化した場所に何日も残っている。
同じ場所で定期的に抜け殻を調べれば、その場所でどの時期に
どんな種類のトンボが羽化しているか知ることができるだろう。

(『虫のおもしろ私生活』)
コニシキソウ Euphorbia supina
 明治以降に渡来した北アメリカ原産と思われる1年草。
人里近くに生える。
地面をはって広がり、節から根をだすこともある。
葉は長楕円形で長さ7~10ミリ、幅2.5~5ミリ、黒い斑紋がある。
杯状花序は葉のわきにつく。
蒴果は卵状球形で、短毛が密に生える。
花期 6~9月
生育地 畑、道ばた
分布(帰化植物)

(『日本の野草(旧版)』1983年)
「ボクは葉っぱです」(コバネイナゴ
朝は出番を待って静かなアブラゼミ
朝、クマゼミの歌のボリュームが小さくなってきたように思います。
 向こうにボンヤリ映っているのはアオサギです。
アカメガシワの雄花かな?
父の話を聞いていると特攻基地があった知覧も旅行したことがあるとのこと。
その時、母は「知覧特攻平和会館」には入館できなかったと話してくれました。
(母は、「ひめゆりの塔」を訪ねた時に熱を出して寝込んだことがあります)
 和泉式部集上
声聞けば暑さぞまさる蟬の羽の薄うすき衣は身に着たれども
(『和泉式部集・和泉式部続集』)
父の故郷は徳之島ですが、特攻隊の中継基地がありました。
当時、父は基地の建設工事に参加させられていました。
また、基地が完成した後も爆撃で穴の開いた滑走路に
毎晩、土や廃材などを放り込んで補修していたそうです。
当時、牛や豚、山羊などを軍の食糧として供出を命じられていました。
父が身の毛がぞわぞわとするような経験をしたのは米軍の空襲ではなくて、
軍隊に食糧を運んだときに少尉?が「ボクちゃんおなかすいた」なんて言葉を発したそうです。
当時、父は昭和6年生まれですので14歳位です。
軍国少年だった父にとって信じられない姿でした。
その食糧は、将校たちの食事に提供されていたようです。
それに対して初年兵などはまともな食事もできず村民に食糧を求めていたそうです。
(祖母が芋をふかしていたら、初年兵などがまわりを囲み海水から作った塩と交換してくれと頼んだそうです)
父は徳之島で、母は沖縄で日本軍の将校と下級兵士の階級差による過酷な姿を見てきました。

死ね死ねと吾子あこ等を駆りて死なしめし将軍等みな死なで降くだりぬ  鈴木康文

降りぬ=降伏してしまった。
(『昭和萬葉集 巻七(昭和20年~22年)』講談社 昭和54年)

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