2017年8月19日土曜日

花が咲いていました(^。^)

父が「もう花が咲いているな」と見ています。
「朝に咲く」と田舎では農業をしていたのでいろいろ教えてくれます。

イネの花のつくり」(動画)
シオカラトンボは害虫を駆除してくれますが… 
チャバネセセリは、幼虫がイネ科の植物を食草としています。
コバネイナゴが、イネの葉をムシャムシャ食べています…
ヤマトシジミの幼虫はカタバミを食草としています。
この世界の片隅に」で食糧事情が悪くなりカタバミを食材にする場面がありました。
母は沖縄から父の故郷(徳之島)へ移って父と農業などをしていました。
慣れない生活に苦労したようです。
その後、神戸に移り、大阪に来ました。
(すずさんも広島市から呉へ嫁ぎましたね…
母はすずさんのように里帰り滅多に出来ませんでした。)
ツユクサが日差しを受けてキラキラ輝いていました☆

ツユクサ ツユクサ科
 目の覚めるような青色が、大変涼やかな花です。
中央にある黄色いものは雄しべですが、この雄しべは花粉を出さず、
花を昆虫に目立たせる役割だけをするのになった、と言われています。
前に飛び出た別の2本の雄しべだけが花粉を出します。

(『花のおもしろフィールド図鑑(夏)』)
 振り切った過去につながる蟬しぐれ  山本寛子
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
『この世界の片隅に』の下巻にこうの史代さんが後書きを書いていおられます。
(原文通りではありません)

 あとがき

 わたしは死んだ事がないので、死が最悪の不幸であるのかどうかわかりません。
他者になった事もないから、すべての命の尊さだの素晴らしさだのも、
厳密にはわからないままかも知れません。
 そのせいか、時に「誰もかれも」の「死」の数で悲劇の重さを量らねばならぬ「戦災もの」を、
どうもうまく理解出来ていない気がします。
 そこで、この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描く事にしました。
そしてまず、そこにだって幾つも転がっていた筈の「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました。
 呉市は今も昔も、勇ましさとたおやかさを併せ持つ不思議な都市です。
わたしにとっては母の故郷です。
わたしに繋がる人々が呉で何を願い、失い、敗戦を迎え、その23年後にわたしと出会ったのかは、
その幾人かが亡くなってしまった今となっては確かめようもありません。
だから、この作品は解釈の一つにすぎません。
ただ出会えたかれらの朗らかで穏やかな「生」の「記憶」を拠り所に、描き続けました。
 正直、描き終えられるとは思いませんでした。
 幾つもの導いてくれる魂に出会えた事。
平成18年から21年の「漫画アクション」に、昭和18年から21年のちいさな物語の居場所があった事。
のうのうと利き手で漫画を描ける平和。
そして今、ここまで見届けてくれる貴方が居るという事。
 すべては奇蹟であると思います。
 有難うございました。


2009年2月 花粉の朝に   こうの史代
(『この世界の片隅に <下>』)

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