2017年8月12日土曜日

盂蘭盆会(四天王寺)

父さんが経木に名前を書きました。
今日は、中之門から参詣しました。
地下鉄の駅を上がったところに顕彰板があり

四天王寺と椎寺
 この顕彰板の建つ場所は、今は住居表示で四天王寺1丁目と呼ばれていますが、椎寺町ともいいます。
昔、四天王寺の境内地には椎の大木があり、
それを天台宗の開祖・伝教大師最澄が自らその木を切って薬師如来像を彫り、
境内西(現在の中之門あたり)にそれを祀る椎寺薬師堂を建立されたことが始まりです。
その薬師堂は、落雷により焼失していた四天王寺六時堂の代わりとして、
文化8年(1811)に六時堂跡に移設され、現在に至ります。
六時礼讃堂での経木回向を終えて

丸池まるいけ・鏡の池かがみのいけ
 この池は、俗に「丸池」や「鏡の池」と呼ばれる。
如何なる大旱たいかんの年といえども池の水が涸れる事はないと伝えられ、
往古より雨乞いを行う時は、この池の聖水を使って祈祷をしていたという。

 池の西(正面から向こう岸)には仏足石ぶっそくせきと釈迦如来像が祀られ、
参拝者はこちら側(此岸)から西の方角を向いて、極楽浄土(彼岸)を観相
かんそうし、
池越しに拝むのが古来からの習わしであった。
 また、この丸池は別名「上
かみの池」、亀の池は「中なかの池」、
東大門南西の辯天池は「下しもの池」と呼ばれ、合わせて四天王寺三池という。
 これら三池は境内の東西同軸線上に位置しており、太平洋戦争大阪空襲の際、
池より北側の寺域を焼失から守ったと云われる。

三池から北側に存在する本坊方丈ほうじょう・五智光院ごちこういん
六時礼讃堂ろくじらいさんどう・元三大師堂がんさんたいしどう・寺宝等は、
みな重要文化財に指定されている。

平べったい亀がのんびりしていました。
スッポンです!
よその池では、鍋になってしまうのかな(*´∀`*)
祖父母と義弟がねむっています。
母さんは、もうしばらく家にいてもらいます(o^^o)
五重塔
 古社寺ファンなら、鉄骨鉄筋コンクリート造
ぞうの五重塔と聞いて少々残念に思うかもしれないが、
それが四天王寺創建当時・飛鳥時代の時代考証の成果だとすれば、また見方も変わってくるだろう。

四天王寺中心伽藍をみた後は、奈良・法隆寺の西院伽藍(五重塔・金堂一帯)を訪ねてみたい。
雲斗雲肘木
くもとくもひじき、卍崩まんじくずし高欄こうらんなど、
両者の共通点探しが日本の寺院建築意匠のルーツ探しになるだろう。

(『大阪名所図解』画・綱本武雄、解説・酒井一光 髙岡伸一 江 弘毅 140B 2014年)
四天王寺の大釣鐘
 神社のこま犬に対して、お寺の場合は、鐘が供出されましたが、
そのなかで一番大がかりだったのが、四天王寺の大釣鐘のようです。
四天王寺の六時堂の裏手に英霊堂という建物があります。
この建物は1906年に建てられた鐘楼がもとになったもので、
その鐘楼には世界一と称する大釣鐘がつり下げられていました。
 堂前の説明板には、「大梵鐘は第二次世界大戦中供出されましたが、
戦後、世界平和を祈り、国ために我が身を捧げられた英霊を祀るお堂として、
英霊堂と改称されました」と書かれています。

 この鐘は、全長約7.9メートル、周り約16.4メートル、
重さ約157.5トン(地上に下ろして測った結果、
実際は約63.8トンと判明)にもなる巨大な鐘で、
1903年にいまの天王寺公園や新世界のあたりで開催された
第五回内国勧業博覧会を記念して鋳造されました。
 しかし、鋳上がったあとにひびが入ったためよい音色が出ず、
ほとんど撞
かれることなく「鳴らずの鐘」と呼ばれていました。
地上に下ろされて解体されたのは1943年4月のことです。
いまでは、鐘があったことを知ることができるのは、
鐘楼の上部に描かれていた大きな龍の絵が堂の天井に残っていることだけです。

(『大阪戦争モノ語り』森田敏彦 清風堂書店 2015年)
(右端の説明板より抜粋)

安政地震津波碑あんせいじしんつなみのひ
安政元(1854)年11月4日・5日の両日に相次いで発生した
安政東海地震と同南海地震による犠牲者を供養し、
津波災害の状況を後世に伝えて警告するため、
町人一同にによってその翌年秋、四天王寺に石碑が建立された。


現在、この石碑は無縁墓の最上段に置かれているが、
もとは元三大師堂の池端に独立して立てられていた。
大阪を襲った大災害の記録として重要な意味をもっている。
 (東面)
           諸国地震及洪浪
南無阿彌陀佛  
           水陸横死大菩提

(南面)
去年霜月四日五日の地震を遁ん為に小舩に乗居し輩俄の洪浪湧か如く
木津川口邊の大小舩一時に川上に押寄橋を落し舩を摧き漂没死人夥し
尤前日より海鳴潮の干満潮乱しをしらすして死に至る者寔憐むへし后世

(西面)
海鳴潮の干満みたれし時は早く津波の兆と知りて難をのかれ玉ふへしと云爾
安政二乙卯秋建之

○ ○ ○ ○

回向の順番待ちを暑い外で1時間以上待っていて、
六時礼讃堂の待合室でも30分以上待っていたので疲れました。
妹が父さんの体調を心配するほどだったので
昼食は、パンなどの軽食を帰りに駅で買って
家でゆっくり食べました。
夕食を早めにすることにして
母さんとよく行っていたお店で食べました(^-^)

8月9日(水)に放送された
のんびりゆったり路線バスの旅「夏スペシャル!親子旅~奄美大島&秋田~」の中で
小学校5年生の伊音(おと)さんが歌ってくれた「にじ」(作詞:新沢としひこ、作曲:中川ひろたか )が素敵だったので検索すると、いろいろヒッとしました。
(作詞した新沢としひこさんが「嬉しい!」とつぶやいていました♪)
その中から