2017年8月6日日曜日

永遠の新人(織田作之助 3/4) 

 燈火管制は中止され、民の灯は煌煌と輝きはじめた。


鰻の寝間みたいな小さな他アやんのバラックにつけられた電燈も、今日は千日前の一角に生き生きと輝いていよう。
が、大阪を明るくするのは、灯のみではない。
大阪の人人に特有の、粘り強さと、生活への自信と、そして「工夫に富める」(といえば、ラ・マンチャの騎士ドン・キホーテを想わせるが、まことにドン・キホーテの良き意味における)情熱と大胆さが、これからの大阪を明るくするのではないかと僕は思っている。
「工夫に富める」大阪人の「工夫に富める」例は語り切れぬくらいだ。
ことあるごに昔の例を持ち出すのは、速成の歴史学者みたいで智恵のない話だが、ことの順序として挙げてみると、豊臣時代に大阪は冬、夏の陣の二度の戦火のために、城は落ち、町は焼かれ、人は離散して、荒莫たる焼野原と化してしまったが、やがて戦火が収まると、離散した人人が帰って来て、復興に努力し、瞬く間に戦前以上の立派な町をつくりあげた。
そして元禄時代には、天下の台所の主としての大阪町人の富の威力は諸侯を震え上らせるくらいになり、その町人文化は、当時の日本の文化の中心となり、大阪の伝統はこの時にはじまったのだ。
 この時の大阪は問屋都市であり、金融都市であったが、やがて維新の経済変革は大阪を疲弊のどん底に陥した。
明治初年頃の大阪は火の消えたようにさびれ果て、かつては天下の諸侯を震え上らせた富豪が続々として倒れた。
しかし、大阪人はへこたれなかった。
負けてしまわなかったのだ。
大阪がもはや問屋都市、金融都市としてのみでは埒があかぬと知ると、新しい産業都市への切りかえに創意を凝らし、やがて大阪は紡績をはじめとする世界の産業都市となり、その繁昌振りは元禄時代以上であった。
あっという間にそうなってしまったのだ。
 勿論、大阪の地理的条件がよかった。
がそれよりも与って力のあったのは、大阪人自身の底力ではなかったか。
その粘り強さと、新しい事態への適応性だ。
大阪人は蝸牛の殻をかぶった如く、一見保守的に見えて、その反面蝸牛の触角の如き柔軟、融通無碍の適応性を持っているのだ。
 人は大阪に就いて三百年の伝統ということをよくいう。
たしかに大阪は伝統を守って来た都だ。
今日以て伝統を守るだけなら、骨董屋のおっさんにも出来よう。
大阪人を大阪人たらしめるのは、大阪人が永遠の新人だという一事だ。
かつて大阪人はつねに新規なことを試みて、それに成功して来たのだ。
芸術でも大阪からは実に風変りな芸術家が出て、新しい芸術をつくった。
東京の新しい劇団なども大阪で旗上げして地盤をつくった。
新国劇、前進座、すべて大阪で育った劇団だ。
大阪が新しいものに理解のある土地だったからだ。
いや、大阪人自身が新しかったからだ。
 僕はいま過去を語って来たが、しかし、大阪の未来に就ても語ろうと思えば語れると思う。
お望みなら予言してもよい。
即ち、新しい人である大阪人は戦前以上の立派な大阪を再建するだろうと。
古い大阪は亡びてしまったが、新しい大阪が生まれるだろうと。
(『織田作之助全集 8』講談社 昭和45年)

※原文通りではありませんし、転記間違いがあると思います。

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