2017年7月13日木曜日

「高野線」(織田作之助作 1/6)

  九月三日の夕刻南海電車の高野線で死者七十数名という電車事故があった。
聴けば、乗客を満載した電車が紀見峠の谷底へ墜落したということである。
翌朝、同じ線の事故で数名の死者が出た。
この方は私の住んでいる土地のすぐ近くの荻原天神駅で起こった追突事故であった。
(『織田作之助全集 5』講談社 昭和45年)
 その夕方、町へ出ようと駅に立っていると、柩を載せた電車があわただしく通過した。
柩の傍に棒のように突っ立っているのは、遺族であろうか。
悄然としていなければならぬ筈を、いずれも何か興奮していて、あわただしい生ま生ましさが通り魔のように黄昏の駅をかすめたのである。
 その速さはまるでその遺族たちの怒りにせき立てられているかのようであった。
運転手の不注意が原因か、車輛不完全だったかは知らぬが、防ごうと思えばあるいは未然に防げた事故ではなかったかというその人たちの怒りではなかろうか。
取りかえしのつかぬ思いの腹立たしさが殺気立たせもするのであろう。
そう思えば、そんな風にあっけなく死んでしまった人たちや残されたその人たちへの同情に、私の胸は温まるのだが、けれども、その前に、私の想いははや亡き妻の上に走るのだった。
 妻が死んだのは八月の六日だから、まだ一月も経っていなかった。
それ故、他人の柩を見てもすぐ妻のことが想われるのは当然ながら、けれども、眼前の七十いくつの柩よりも脳裡にある一つの柩の方に涙を注ぐというのは、これは一体何であろう。
妻の死は哀れとはいうものの、わが家の床の上で私の手に抱かれて息を引き取ったのであり、紀見峠の谷底へ電車もろとも墜落して死んだその人たちに較べるとはるかに幸せな死に方には違いないが、けれども私はその七十幾人の人たちよりも妻の方が真実かわいそうでならないのである。
夫婦の情の不思議さであろう。
(『織田作之助全集 5』講談社 昭和45年)