2017年5月3日水曜日

憲法記念日

今日もギックリ腰が響いていて、妹を迎えに車を運転するくらいでした…

お母さんが圧迫骨折で腰を痛めたのは2年ほど前、
以来、ズーッと痛みに苦しめられてきました。
毎日、遺影に向かって「本当によく頑張ったね」と声をかけ続けています。



テキストは古いのですが我妻栄氏の『法学概論』から一部転記します。
  明治維新以後の約100年間におけるわが国の法律制度の民主化の途をたどろうとする本書にとっては、
明治22年(1889年)の大日本帝国憲法(以下明治憲法と呼ぶ)と昭和22年(1947年)の日本国憲法とは、二つの大きな拠りどころである。
前者によって、わが国の民主化は、制度としては半ばまでその道を進み、後者によって、ほぼ完成の域に達した。
もちろん、制度とその運用とは一致するものではない。
制度は、運用によって、一層民主主義の理想に近づくこともでき、
また、その反対に制度の趣旨が運用によって殺されることもある。
事実、明治憲法は、大正の時代において、その予定する以上に民主的に運用された。
大正デモクラシー時代と呼ばれるものである。
また、日本国憲法は、施行後20余年、それに含まれている完全に近い民主的な諸制度が、
果たして本来の趣旨に従って運用されているかどうか、疑問を抱かせるものも決して少なくない。
(P2~3)

(略)
日本国憲法施行後のわが国の実情は、憲法の理念の後退を示す――少なくとも当初の純真さを失っている――かに見えるのであるが、
(略)
(『法律学全集2 法学概論』1974年)

今朝のA新聞に
 “昭和天皇、憲法GHQ草案「いいじゃないか」 幣原首相「腹きめた」 発言示すメモ

憲法改正を主張される方々の案を見ていると
現天皇が進められてきた国民に寄り添った皇室像を大きく変えて
逆戻りさせようとしていると思ってしまいます。
天皇が被災地を慰問したときに跪いて被災者の方に励ましの言葉をかけておられたのを
皇室の権威が台無しになると批判的に見ておられた方もいるようですから…
天皇を遠い存在にしたのは明治維新以後だと思います。
例えば以下の文章に見られるようにもっと皇室と庶民の関係は近しいものだったようです。

17世紀後半の明正天皇(めいしょうてんのう)の即位式の屏風からは、即位の拝観を許された庶民が南庭で酒を酌み交わし、母親は胸をはだけて乳を含ませ歓談するざわめきが聞こえてくる。
こうしたおおらかな、禁裏や公家町と人々との交歓の風景を思い起こすことにより、王権のありようは前近代と近現代とでは大きく変容したことがわかってくる。

(『京都の歴史を歩く』)

近世民衆、天皇即位式拝見――遊楽としての即位儀礼見物 森田登代子」(PDF形式)が
参考になると思います。
なお、森田さんについては
重度障がいのある娘とともに育つ母 森田登代子さん インタビュー」という記事を見つけました(o^^o)
第11回北九州&アジア洋舞コンクール第1位 森田かずよさん インタビュー」も併せてご覧ください(^_^)b