2017年5月10日水曜日

月命日(初月忌)

 今日は母さんの月命日、初月忌(しょがっき)です。
母さんは、4月10日(月)午後10時42分
スーッとロウソクの炎が消えるように静かに天国へ旅立ちました。
(2011年9月8日)

僕の入院中にメモ帳に記録していたことをもとに書いた
2011年9月8日のブログ記事(終了)に

 父がアクビをするのを何度も見ました。
「こんなはずじゃなかった」とポツンと…
7/31に入院以来、猛暑のなか一日も欠かさず父母は見舞いに来てくれています。
なんとしても退院しなくては…


 この時、母さんは、杖をつかずに毎日、見舞いに来てくれていました。
手術後、主治医の先生から九分九厘、危なかったと教えてもらい
肺炎で、人工呼吸を8日間していた時、両親は、主治医から五分五分とも言われ。
ICUから一般病棟に移動したときに心臓の上半分(心房)が壊死して動かなくなったのを
心臓エコーの画面を見せていただきながら教えてもらった。
そんな僕が今、日々、暮らしているのは、母さんと父さんのおかげだと思っています。

 柳澤桂子さんの著書は、何冊か読んでいますが、
久しぶりにお姿を拝見しました。

死の認識の進化

(略)

 ヒトの子供がいつ頃から死を意識するかという研究はいくつかされている。
アンソニーによると、子供がほんとうに死を意識するのは七~八歳以降であるという。

(略)

 五~九歳になると、死ねばふたたび生き返ることはなく、生きているものはすべて死ぬ運命にあるということがわかるようになる。
しかし、死が自分の身の上におこる可能性があるということまでは考えにくい。
 10歳以上になると、死が医学的な肉体機能の停止を意味することも理解できるようになる。
また、それが自分の身にもおこり得ることも知り、自分なりの死生観を探ろうとする。
この頃になって、おそらく大人とおんなじ死の概念をもつに至るのであろう。
(P23~24)


小学生の時にお風呂屋さんで友達から
「お前の母ちゃんも死ぬんやぞ」と言われたのが
もの心ついてから一番最初に味わった恐怖だった。


と書きましたが、確か、4年生くらいだったと思います。

 対談後、柳澤さんが一日目は福島さんの声が大きいので「疲れました」と仰っていましたが、
耳の聞こえない福島さんは、自分の声が聞こえないのでどうしても声が大きくなります。
僕もよく、母さんに声が大きいと怒られていました(^^ゞ