2017年4月25日火曜日

暖かさが増してきていますね

垣ありて乙女は住めり茱萸の花  三橋鷹女
(『現代日本文學全集91 現代俳句集』筑摩書房 昭和32年)


茱萸(ぐみ)
ヒラタアブの仲間が牡丹を訪問していました(^。^)

ぼたん切て気のおとろひしゆふべ哉

[訳]ぼたんを切って気力が衰えてしまった、この夕べよ。
[解]深い喪失感。牡丹を切ったことと気力が失われたことに明確な因果関係はないが、
華やかだった牡丹の残像だけが心に残る夕べ。
大事に育てた一人娘くのを牡丹に喩え、
嫁がせようと決めたことから生じた無力感と見る説もある。
(『蕪村句集 現代語訳付き』)
カキドオシ(シソ科)
ナナホシテントウの幼虫です。
幼虫のときからアブラムシを退治してくれますp(^-^)q
母は、公園だけでなく身近に出会えるのでスズメに親しみを持っていました。

今日は「霜止出苗(しもやみてなえいずる)」(七十二候)
暖かさがいっそうましていますが、
最近、雨が降っていないと思ったら
明日は「穀雨(こくう)」(二十四節気)に相応しく?雨の予報ですね…
4月21日に転記した「高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の詠まれた歌(巻第二 158)」を
折口信夫の『口訳万葉集(上)』より転記すると

巻第二 158
山吹の立ち儀(よそ)ひたる山清水、汲みに行かめど道の知らなく

十市ノ皇女の葬ってあるみ墓の辺には、山吹のとり囲んだ山の清水がある。
それを汲むために、御霊は通うていられようが、人間の自分には、
その道を知ることが出来ないから逢われない。
ニシキギの花が光っていたのは蜜かな?
ヤマブキの名が付くけど黄色い花でなくシロヤマブキ
バラ園はまだこれからですが、母はいつもバラが咲くのを楽しみにしてました。
姪がまだ幼い頃、妹と姪と一緒に中之島のバラ園に遊びに行ったりしていました。
枚方公園のバラ園は、私たちが子どものころに家族で行っていました。
私は部屋で画像の編集をしていたのですが
部屋を出て父を見ると木工作業をしていました。
遺影を飾るための写真立てを作っていました。
父曰く、母の遺影の隣に自分(父)の遺影を飾るそうです。
「父の遺言を実行してあげないといけないね」と妹と話していました(o^^o)
午後から駅に向かうと駅構内で前の職場の先輩Yさんにお会いしました。
先輩は2年前にパートナーを亡くされ、去年は娘婿が逝去されました。
立話をしようとすると目がかすみ声が出なくなりました。

これから本を買いに行こうとしていたのですが、
先輩は、本屋さんの帰りだったそうです。

電車に乗って探しに行ったのは『人生論ノート』(三木清著)
40年ほど前に読んだのですが、難解でした…
その難解さのもとは、三木清が執筆した当時の日本
戦争へと突き進んでいた状況にあったことが
解説されていた岸見さんの話を聞いて納得しました。
(番組サイトの“プロデューサーAのおもわく。”と
“プロデューサーAのこぼれ話。”を参照してください)
第4回(最終回)“「死」を見つめて生きる”は胸に響きました。
岸見さんの解説を手引きに再挑戦しようと思いますp(^-^)q

もう一つ心に響いた番組は“SWITCHインタビュー 達人達「福島智×柳澤桂子」”です。
お二人のお話は胸に迫ってきましたし、機会ある毎に見なおしたいと思いました。
いずれも再放送があります。
夜、お風呂から上がった後
母の遺影と一緒に飾っている
昨日撮したツバメの写真を見ながら父が
「母さんは沖縄に飛んでいって帰ってきたんやな」と話しました。
と言うのは、母の原戸籍が今日届いたのです。
「母さんがツバメになって沖縄に申請書を届けたやろうね」とも話していました。