2017年1月31日火曜日

母の診察日でしたが…

 今日は、母の診察日でしたが、昨夜からトイレに行こうとしても体が動かず
ちょっと動いただけでゴロンと横になり動けなくなっていました。
今朝も同じ状態だったので、私と妹で病院へ行きました。
待合室で待っていると咳をしている人でマスクをしていない人がいる…
インフルエンザが大流行している時に母を病院に連れて来ることは…

診察室で担当の先生に事情を話し、腸の内視鏡検査の結果をお聞きしました。
内視鏡検査の結果を見ると悪性の腫瘍は見られませんでした。
本当は、胃カメラの検査をする方がいいのですが
母の状態をお話して中止にしていただきました。
動けない状態をお話して入院しなくてもいいですかとお聞きすると
食べることができて、水分をとることができているのなら入院しないほうがいいでしょうと
1週間入院しただけで認知症が悪化する場合もあるとのこと。
帰宅後、母に先生の話を伝えるとニコッと笑い、動けなかった母ががんばってイスに座り
妹が作ってくれた雑炊を全部食べました。
夕食も妹が作ってくれた具だくさんの味噌汁と御飯を食べてくれました(^-^)
ホッとして午後からリハビリ散歩に出かけました。
σ(^_^;と同じ気持ちかな(*^ー゜)
グーッと伸びをしているのは

地上を散歩している時に「♪だるまさんがころんだ♪」と数えることができます(^^ )
にほひさへ花さへ實さへ若葉さへ冬木の程も梅はことなる  田安宗武

○実さへ―万葉集に「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜ふれどいや常葉の樹」(巻六、1009)がある。
▽においまでも花までも実までも更に若葉までも、冬枯の間も、梅はどこか他の木とはちがっている。
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
      高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)
飛び上がったのは…
冬枯や雀のありく樋(とひ)の中  炭 太祗(たんたいぎ)

◇庭の植込みもすっかり葉が落ちつくし、寒々とした様子、
餌をあさりに来た雀が屋根の樋の中を歩き、かさかさという音も聞こえる。
静かな冬の情景がよく出ている。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学大系92』
   阿部喜三男・麻生磯次校注/岩波書店 昭和39年)
河津桜は昨日の暖かさで咲いているかなと思いましたが
寒さであと一歩…(・・?
    誘水亭
山雀の啼くとき庭を山路かな  支考
(『俳諧歳時記(秋の部)』横關愛造編 改造社 昭和29年)
かわいい子に会えました(^。^)
 ジーッとしてくれません(@@;)
視線は…(*゜∀゜*)
ひと晩に咲かせてみむと、
梅の鉢を火に焙
(あぶ)りしが、
咲かざりしかな。

(『日本の詩歌5石川啄木』)

2017年1月30日月曜日

応急処置で

今朝は雨が降っていたのでリハビリ散歩を止めました。
昨日の午後のことですが、腸の内視鏡検査の後、
母の状態が悪く、支えてあげないと歩けない状態です。
要介護の認定を受けていますが、急に悪くなったので
申請をしていては時間がかかるので
(去年に認定を受けたのですが、母が嫌がるので利用しませんでした)
昨日の午後、父とホームセンターに行って材料を探してきました。
父が、取っ手をつけて
σ(^_^;がトイレの手すりを設置しました。
正式なものを設置した方がいいのですが
しばらくこれを使用して様子をみることにしました。
母には、母のためだけでなくσ(^_^;がギックリ腰になったときに
いつもトイレで困っているからと伝えました(^_-)

今朝、父がかかりつけの内科を受診して
内科の先生に相談して胃カメラは止めることにしました。
また、天気がよくなったら点滴を受けに行くことにしました。
父の話では、インフルエンザの患者さんが多くいたようなので
もう少し後にしようと話しています。

午後から妹を歯科受診に送り迎えをしました。
待っている時間読んでいたルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』。
今の日本とかなり違うなと思うのが幾つもありました。
その中から二つ紹介したいと思います。
太字は、フロイスの言葉です。注記は岡田氏)

われわれは喪に黒い色を用いる。日本人は白色を用いる。

 ヴァリニャーノは「白色はわれわれにとって楽しい、喜ばしい色であるが、彼ら〔日本人〕にとっては喪の、また悲しみの色である。彼らは黒色と桑実色とを楽しい色としている。」といっている(Boxer,The Christian Century in Japan,p.77)。
白色と黒色に対する東西の風習の対照が興味をひいたのであろう。
喪服については、鎌倉・室町時代には武家の間で、鈍色(にびいろ(薄墨色))に染めた貲布(さよみのぬの)(細かく紡いだ麻糸で織った布)の素服が用いられた。
江戸時代には男は麻上下(あさかみしも)、長上下、熨斗目(のしめ)上下、女は白無垢(しろむく)に白い帯を着けた。
喪服は元来、華美を避けることを主としたので、白色のものを用いるようになったのであろう。
慶長15(1610)年細川幽斎の葬礼の記録によれば、辻堅(つじがため)の士はすべて白の小袖に上下、扈従(こしょう)の者は無紋の羽織、舎人(とねり)は烏帽子(えぼし)に白の素襖(すおう)、故人の愛馬には白い手綱をかけ、総体を白い馬絹で蔽い、また弓、鎗、長刀、太刀、骨箱なども白絹で包む。
女中、女房等は白の絹をかずいていた。
喪主忠興は鈍色の束帯であった。(P28)


ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。

 鎌倉時代に武家の女性は婚姻の際、父母等から化粧料、装束料などという名で所領を与えられたが、これは一期(いちご)分として、その死後(一期の後)は実家に総領の手に帰すのが通例であった。
夫婦が財宝を別にするこの慣習が残っていたので、妻の持参田畑は粧田、持参金は敷金、または敷銀、敷銭などといわれた。
夫がそれを借りることもあったのであろう。(P48~49)
(『ヨーロッパ文化と日本文化』)

ルイス・フロイス(1532~97)は35年間日本での布教に努め、
長崎で生涯を終えたので旅行者の目で書かれたのではありません。
他にも興味深いことが書かれていますし文庫本で手に入りやすいので、
一読をおすすめします(^-^)

2017年1月29日日曜日

雨降る前の青空(^。^)


鶸渡る空や寺子の起時分  浪化
(『俳諧歳時記(秋の部)』横關愛造編 改造社 昭和29年)
鶲来て枯木に色をそへにけり  高浜年尾
(『俳句の鳥・虫図鑑』復本一郎監修 成美堂出版 2005年)
朝の間は青空が見えました(^。^)
ジョウビタキ(尉鶲)♂が止まっていた枝は
あこくその心も知らず梅の花

昔、紀貫之が梅花に託して、「人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香に匂ひける」と
詠んだ心のほどは分からぬが、今わが古里の梅の花は昔のままに匂い、
人の心も昔に変らず、私を温かく迎えてくれる。

春―梅の花。
紀貫之の童名「あこくそ」を用いて旧友への親しみをこめた。
貫之の歌(『古今集』所収)の上句は、人の心の変りやすさをうち恨んだもの。
その貫之の気持はともかくも、とした趣向。
(『芭蕉句集 新潮日本古典集成』)
うめのはなおいがこゝろをなぐさめよむかしのともはいまはあらなくに  良寛

▽梅の花よ、私の老人の心をなぐさめてもらいたい。
昔の友達は今はもうなくなってしまったことだ。

(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
    高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)
可愛いこと目が合いました(^^ )
    山家歳暮
鶯の聲より外(ほか)に山ざとはいそぐ物なきとしのくれかな   香川景樹

▽来る春の用意をする鶯のほかに、
山里では年の暮だからといって別に急いで用意することもない。
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
    高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)
鶯がぎよつとするぞよ咳(せき)ばらひ
(『新訂 一茶俳句集』)

 森の中を歩いていると、遠くで聞こえていた鳥たちの声が、だんだん近づいてくることがあります。
そんなときは、立ち止まってじっと待っていてください。
しばらくすると真上のマツの枝先に、白いおなかのエナガが数羽でやってくるかもしれません。
「ツィツィツィツィ」と鳴きながら、枝や葉にかくれている虫を食べています。
そこへ「ツツピーツツピー」「チチーチー」「ツピツピ」と、いろいろな鳥の鳴き声が集まってきました。
 秋から冬にかけては、シジュウカラのなかまやエナガ、ゴジュウカラ、コゲラなどが群れをつくります。
えさをさがす場所が、シジュウカラやヤマガラは枝や地面、
ヒガラやエナガは枝先、ゴジュウカラは幹という具合にそれぞれがちがうので、
いっしょに移動しても、そんなに困らないようです。

(『鳥の自由研究3 山や海の観察 春夏秋冬』)

独り居や小鳥来てゐる些々の音  及川 貞
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
モズ♂が高い所から見ていたのは…

2017年1月28日土曜日

青空に(^。^)

今朝も近づく前に飛んで行ったけど…(>_<)
イカル
卵をあたためるのはメスだけだが、巣の中にいるメスにオスが給餌にやってくる。
また、卵を産んだり抱いたりしていたメスが巣を離れるときは、
巣の内外でさえずりを交わし、オスが迎えにきてから
2羽で一緒に出かけていく(つまりメスもさえずる)。
そして、食事が終わってメスが巣に戻るとき、必ずオスが巣まで送りとどけるのである。
さらに、ヒナが成長して、メスもヒナを残して餌を探しにいくようになると、
やはりオスとメスは共に行動し、両親そろってヒナへの給餌に帰ってくる。
イカルの夫婦の仲の良さは、本書の鳥の中でもいちばんだろう。

(『鳥のおもしろ私生活』)
どんなときに木をたたくの?
 森の中にひびき渡るコンコンコンコンという音。
音のするほうをさがしたら、キツツキのなかまがいるかもしれません。
日本にしかいないアオゲラ、頭が赤いアカゲラ、小さなコゲラなどが、
よく見かけられるキツツキのなかまです。
 キツツキは、その名のとおり、じょうぶなくちばしで木をつつきます。
タラララララと速く、よくひびく音が聞こえたら、メスをよぶためにつつく音、
コッコッコッコッコッと力強くたたくのは、巣穴をほる音、
コン、コンとさぐるようにたたくのは、えさの昆虫が木の中にほった穴をさがす音です。
 前後に思い切り頭をふって、打ちつけるように木をつつくすがたをみると、
頭がクラクラしないものかと心配になります。
(『鳥の自由研究3 山や海の観察 春夏秋冬』)
冬がれの里のわらやのあらはれてむら鳥すだく梢さびしも  賀茂眞淵

○すだく―集まる。
▽木が茂っていて今までは見えなかった里のわら屋が、
落葉したためにすっかりあらわになった、その落葉した樹の梢に、
群鳥が集まっているさまは、いかにも淋しい感じである。
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
     高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)
ウグイスの動きは速いです(^0^;)
笹鳴の声のみどりにさす日かな  飯田龍太
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
メジロも笹の中から時々姿を現わしてくれました(^-^)
 鎌倉の僧ことゝはん冬の梅  内藤露沾(ないとうろせん)

◇鎌倉には鎌倉五山など禅寺が多い。
冬の梅を見ながら、鎌倉にいる僧を訪ねて行こうと思ったという意だが、
禅僧などの感じと冬の梅のけはいがよく調和するので、作者の気持が趣き深く味われる。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学大系92』
    阿部喜三男・麻生磯次校注/岩波書店 昭和39年)
フユザクラでメジロに再会(^。^)
何桜かざくら花もむつかしや
(『古典俳文学大系15 一茶集』
    丸山一彦 小林計一郎校注者 集英社 昭和45年)
大空は 晴れも曇りも さだめなきを 身の憂きことは いつもかはらじ

<大空は 晴れも曇りも定まらない雲行きなのに わが身のつらさは いつも変わることがない>。
*対象の自然に焦点を合わせているが、その描写だけに終止していない。
自分の心情を対象と比較し、あるいは対象と交錯させつつ歌うのが、
作者の様式のひとつである。
(『建礼門院右京大夫集』)

2017年1月27日金曜日

暖かな朝で蕾が膨らんでいました(^。^)

モズ♂は,哲学をしているのではなく
朝ご飯を探していますp(^-^)q
秋から冬は自分の食料を確保するために1羽1羽がなわばりをもち,異性を受け入れない。
そんなモズの社会も,早春の2月から動き出す。
オスは冬のなわばりにそのままとどまるにもいるが,
新たに移動し,繁殖のためのなわばりをもつものもいる。
メスは例外なく冬のなわばりを離れ,オスのなわばりを訪問し始めるのである。
オスはもう追い出すわけもなく,大歓迎でメスを迎える。

(『鳥のおもしろし生活』)
ヌーッと顔を出したのは
真ん丸で毬みたいですね(o゜▽゜)o

良寛の手鞠の如く鶲(ひたき)来し  川端茅舎
(『俳句の鳥・虫図鑑』復本一郎監修 成美堂出版 2005年)
藪の中にいるのはアオジ
忘れたい嘘山茶花を見て飽かず  森田照葉
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
 河津桜の蕾が色づいて今にも開きそうです♪
動きが速かったので(^0^;)

笹鳴きや城跡かこむ小さき町
(『俳句で綴る変哲半生記』)
メジロも笹の中で鳴いていました♪
梅が香もおもひでのさびしさに
(『山頭火著作集Ⅰ あの山越えて』大山澄太編/潮文社 昭和47年)
    雲

信濃(しなの)のくにの雲は
いつも小鳥のやうに迅(はや)
こまかく ちぎれて飛んだ。
ちぎれたものは
鶺鴒(せきれい)の黄ろい翼をいろどり
樫鳥(かしどり)の夕焼色の腹にも似
また小雀(こがら)のやうに立つて消えた。
誰がそれを記憶しよう,
消えた翼のいろの
あるかないかの梢(こずゑ)のあたりに
誰がその思ひをつづることだろう。
(『日本の詩歌15 室生犀星』中央公論社 昭和43年)
 シジュウカラ♂に出会いました(^。^)

小鳥の仕草を見ていると可愛いなぁと思いますよね(^-^)
今朝は,今までの寒さが嘘のような暖かさでしたが
気温の変化が大きいと体調管理が大変ですσ(^◇^;)