2016年12月24日土曜日

今日はクリスマス・イブですが( ^-^)

鵙の朝眼鏡拭く間もなく発てり  五木田浩水
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
  我も死して碑(ひ)に辺(ほとり)せむ枯尾花(かれおばな)

 金福寺(こんぷくじ)に芭蕉の墓を訪(と)うた時の句である。
蕪村は芭蕉を崇拝して,自己を知る者ただ故人に一人の芭蕉あるのみと考えていた。
そして自(みずか)ら芭蕉の直系を以って任じ,
死後にもその墓を芭蕉の側に並べて立てさせた。
この句はその実情を述べたものであるが,
何となく辞世めいた捨離煩悩(しゃりぼんのう)の感慨がある。
(『郷愁の詩人 与謝蕪村』)

 与謝蕪村の墓は京都の金福寺にあります。
山茶花の紅を残して嫁ぎゆく  石本よし子
(『現代女流俳人と作品<3>』千葉祐夕編集 文芸出版社 昭和55年)
やまざとはうらさびしくなりにけるきゞのこずへのちりゆく見れば    良寛

○「さびしく」の下「ぞ」脱か。
▽山里は何となく淋しくなってしまった。
木々の梢の葉も散って行ってしまうのを眺めると。
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
     高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)
撮している時は分からなかったのですが
なんか嘴を開けたままだなと思っていたら…
朝ご飯をなかなか飲み込めなかったようです(^^ )
やっと飲み込んでホッとした顔(^^ )
    十字架

お母さんはつも病んで
さみしかったが不満だったことはない
ぼくを産んで病気になったのだから
すまない気持ちでいっぱいだった
ぼくは伯母の家でいとこたちといっしょに
聖書の話をきかされたが
主イエスさまが十字架にかかって
死んで下さったお話をちっとも疑わなかった
伯母は顔も美しいがほんとうにやさしい人だった

(『母 河野進詩集』聖恵授産所 1975年)
ジョウビタキ♂は,なんか着ぶくれているように見えました(^▽^)

着ぶくれて聖母マリアに程遠し  岩淵米子
(『現代女流俳人と作品<3>』千葉祐夕編集 文芸出版社 昭和55年)
メジロは朝ご飯を探していましたp(^-^)q
何か見つけたかな(^。^)

シロハラも朝ご飯を探していましたp(^-^)q

夜嵐(よあらし)の雨に日たけぬ枇杷(びは)の花  早野巴人(はじん)

目立たない枇杷の花が咲いたが,幾夜か嵐があって,
激しく雨に打たれながら日が過ぎ,
それでもしんぼう強く枇杷の花は咲きつづけている,の意。
白くひっそりと咲いている感じの枇杷の花は,
嵐にもまれながらもたしかに咲きつづけている。
枇杷の花の性格をよく表わしている句である。
季語は「枇杷の花」で冬。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
     栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)

鳥獣保護法でメジロは保護されていますが無許可で飼育することがあるようです。
発病前,山を歩いていた時に
メジロの密猟をみつけたら通報してください」との掲示板を見たことがあります。
愛鳥家に飼われ目白のふしあわせ  園田康統
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)