2016年11月19日土曜日

坂本龍馬展

今日は,雨の予報だったので街歩き(^_-)
 開館と同時に入館しましたが,長蛇の列…
前に並んでいた女の子が事前学習をしていましたp(^-^)q
「没後150年 坂本龍馬」展です。
係員さんに聞くと撮影OK
展示物は撮影禁止なのでチラシから
妻のおりょうとともに旅行した際,霧島山の高千穂峰に登山をした様子を描いたもの
お土産に公式パンフレットが欲しかったけど内容が豊富で分厚く重たかったので
二枚組の葉書を購入
そしてカレンダー


噴水を見ても寒いと思わないほど( ^-^)

山城(やましろ)・丹波国境標示石柱(たんばくにざかいひょうじせきちゅう)
旧老ノ坂峠(おいのさかとうげ)にあったもの
江戸時代 19世紀
 京都の西の出入口,老ノ坂峠(現,京都市西京区)におかれていた石柱。
「是より東,山城国」と書かれているところから,
丹波国の亀山(現,亀岡市)から京都に向かう旅人への案内として立てられていたものと考えられる。
本当は,市バスに乗るつもりでしたが
満員だったのでてくてく歩きました。
お昼を食べようと入ったお店
地下への階段は急なので高齢の方には…
なんども前を通っていて気になっていたお蕎麦をいただきました(o^^o)
骨があったのかな…(・・?
美味しかったな(^-^)
両親へのお土産に鰊棒煮(2本入り)を買いました(o^^o)
松葉
文久元年(1861)当家初代松野与衛門が南座の西隣に蕎麦屋を開業,
屋号を〝松葉〟としました。
その後,150有余年に成ります。
明治15年二代目松野与三吉により,「にしんそば」を発案するに至りました。
もともと,みがきにしんは京の人々にとっては大切なタンパク源であり保存食でした。
二代目松野与三吉はこのにしんとそばを合わせることで,
栄養のバランスのとれた「にしんそば」を世に送り出したわけです。
心配した雨も止んでくれて薄日がさすほど(^_^)v
土曜日ですが歩道が広くなったので以前のような混雑はなくなっている(^。^)
にしんそばを注文した時,「ごはんはいりますか?」と聞かれたのですが
ドーナッツを食べたかったので蕎麦だけにしました(^_-)
お店の定休日は水曜日です。
来週23日は祝日ですがお休みしますと掲示されていました(^。^)
お気に入りの喫茶店「六曜社珈琲店」
煙草の苦手な人はダメかな…
昔は近くに船入りがあって龍馬がいた「酢屋」の2階の窓から
高瀬川を行き来する船が見えたそうです。
高札場(こうさつば)
 高札場とは幕府が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板に書き,
人目を引くように高く掲げる場です。
絵図は,文化2年に三条大橋西詰の御高札場(現近江屋ビル前広場)に掲げられていた高札です。
当中島町には天保12年にこのこの高札の文面の写しが残っています。
それを見ますと,大半が正徳元年(1711)に定めた事が多く,
親兄弟と仲良くし,家業に専念せよと書かれた「親兄弟の札」や,
人足(荷役などの力仕事をする労働者)に担がす荷物の重さや料金が書かれた「駄賃の札」などがあります。
他にはキリシタンの不審者を発見すれば銀500枚の褒美が出るとした「切支丹の札」,
毒薬,偽薬の売買を禁じた「毒薬の札」,
放火を見つけたらすぐに届けよと書かれた「火を付る者の札」もあります。
文化2年の「唐物抜荷之儀の札」は,密輸品が見つかれば差し押さえ,
役人が立会いの元,封印すると書かれています。
   三条小橋商店街振興組合
旧三条大橋の石柱 
 高欄に付けられた擬宝珠には,三条大橋は,
豊臣秀吉の名により増田長盛が奉行となって,
天正18年(1590)正月に日本で初めての石柱橋として架けられた書かれています。
 この石柱はその時の橋桁に使われたものと考えられ,
「天正十七年津国御影 七月 吉日」と刻まれていることから,
現在の神戸市東灘区から切り出された花崗岩製であることがわかります。
 なお,現在の三条大橋の下流側の橋脚にも当時の石柱が使われています。
三条に残る秀吉の栄華 鴨川 橋ものがたり(5)」(日経新聞 2016年11月1日)
三条駅で電車を待っていると電車に遅れが出ているとのこと
近畿各地で震度4の地震があったのは歩いていて気がつかなかったな…