2016年10月27日木曜日

気温が高いと(^_^)

てんと虫一兵われの死なざりし 八月十五日終戦  安住敦

「所詮、助からないと思っていた命が、これで助かったと思ったとたんに涙がふり落ちた。
一ぴきの天道虫がとんできて、私のかかえもった銃の銃身にとまった」(『随筆歳時記』)
(『日本の詩歌30』)
日ねもすの埃のままの赤のまま  高浜虚子
(『図説俳句大歳時記 秋』 角川書店 昭和39年)
溝蕎麦は水の際より咲きそめし  高浜年尾
(『カラー図説 日本大歳時記[秋](旧版)』昭和57年)
 クヌギの殻斗(かくと)が一休み(^^ )
堅果(けんか)
複数の心皮からなり,果皮は堅く中に1種子を含む。
カシやナラ類の堅果は,はじめ殻斗(かくと)に包まれ,殻斗はお椀状になる。

(『写真で見る植物用語』)
噴煙は遠萩咲き野菊咲き  藤後左右
(『日本の詩歌30』)
月のよわい猫のよわいと権太坂  諸角せつ子

 生れてからこの世に生きている間を<よわい>という。
月を人生論風に見て,その満ち欠けに一喜一憂する詩歌の歴史は長い。
これと並べた猫のよわいとは何だろう。
寿命は15年前後といわれるが,30年以上も生きた猫もいたという。
猫の目はひとみが明暗によって形を変えることから,変わりやすいことの形容語。
猫の本性はいつ豹変するかの不気味さである。
 権太坂(ごんたざか)は旧東海道,今の横浜保土ヶ谷にあった急坂で箱根に次ぐ難所といわれた。
けれど時は流れて,歴史的に名は遺(のこ)っても今や難所というイメージはない。
「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり」(『平家物語』冒頭)と同じように,
月,猫,権太坂と並列させて,そこに無常の響きを聞くかの一句だ。
  諸角せつ子 1931~神奈川県生まれ。「道標」主宰。句集『荒踊り』『網膜の花』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)

 「東海道名所之内 権太坂」(横浜市立図書館)
木瓜の実や事そともなく日の当る  松瀬青々
(『図説俳句大歳時記 秋』 角川書店 昭和39年)
からす【鴉・烏】
 進化を極めた鳥。
深層の世界では,黒い色から原初の混沌,無意識,
豊かな大地を象徴し,死と再生のシンボルとなる。
幸福と不幸。
希望と不安。
喜びと悲しみの両方を併せ持つ鳥なのだ。
死体の近くで見かけることが多く,死者に係わる不吉な鳥とされながら,
一方で,人の死や火災を予知する能力があると信じられ,畏怖されてきた。
からすが神の使いとなる伝承も多い。

(『岩波現代短歌辞典』)
 つは蕗つやつや咲きだした
(『山頭火大全』 講談社 1991年)
 コスモスが咲けば地表のうるほへり   細見綾子
(『現代日本文學全集91 現代俳句集』 筑摩書房 昭和32年)
なんか踊っているように見えたけど(*^▽^*)
朝ご飯を見つけていましたp(^-^)q
両親との コーヒータイムに母が
「スズメが水浴びしている」と発見しました(^_^)b
またしても天を見上ぐる秋暑の葉
(『しづ子』)

「秋暑」を10月に登場させるのは(^^ゞ

秋暑し
残暑、すなわち立秋後の暑さをいう語。<季・秋>

(『広辞苑 四版』)
枯蓮

  蓮枯れて水に立つたる矢の如し  水原秋桜子

 源平古戦場の屋島で詠んだ句だそうだが,着想の面白さだけでなく観察の鋭さが快い。

  蓮枯れて夕栄(ゆふばえ)うつる湖水かな  正岡子規

 蓮の葉は水も見えないほど生い茂るもので,枯れてはじめてこの句のような光景になる。
見なれていた景色もひろがったように感じられる。
 迂生(うせい)旧制四高時代、戦災を受けなかった金沢も,戦後の住宅難は他市と同様で,
校内の寮では足らず仮の寮が郊外の蓮田の中にあった。
空腹の秋、窓をあければ枯れかかった蓮が食欲を誘う。
耐えかねて,持ち主が掘る前にと,数人が夜陰に乗じ,少々失敬して来て飯盒(はんごう)で煮た。
だが,そのすさまじい黒さに閉口して,だれも箸を出さなかった。
アクぬきをすることを知らなかったのである。

  蓮掘りが手をもておのれの脚を抜く  西東三鬼

  蓮掘りに涛(なみ)立ち上る日本海  西村公鳳

 両句,小生には泥まみれの青春の思い出につながる。
(『くさぐさの花』高橋治/朝日新聞社 1987年)
 オンブバッタのカップルが止まっている所は,
先日,取り替えらればかりの新品の鉄製のポール
ツルツルしているようでもひっかかりがあるんだ(°0°)