2016年9月30日金曜日

久しぶりに青空を見たような…

なんだか動物が嬉しそうにしているように見える(*゜∀゜*)
高積雲だと思いますが…

ミゾソバ(タデ科)
目に求めし青き一草日ざかりの中に光となりてまぎるる  村野次郎(むらのじろう)
(『日本の詩歌29 短歌集』中央公論社 昭和45年)
 はるか遠い昔,私たちの祖先がこぞって植えた一番の理由は別にある。
それは飢饉のときの救荒食(きゅうこうしょく)として利用したのである。
マンジュシャゲの球根は豊富なでん粉を蓄えている。
たしかに球根は有毒だが,水にさらすと簡単に毒を取り除くことができるのだ。
とはいえ,食用になるはずのマンジュシャゲは,死人花(しびとばな),
幽霊花,捨て子花など不吉なイメージの別名をいくつも持っている。
縁起が悪いと忌み嫌う人も少なくない。
なぜだろうか。
毒があるというだけならスイセンだって球根は強い毒性を持っている。
ある山村で,「絶対開けてはいけない」と昔から代々伝えられている箱を開けてみると,
雑穀の種子が出てきた,という話がある。
いよいよ,食べ物がなくなったときに,
この雑穀を栽培するようにと大切に保管されていたのだろう。
しかし,「絶対開けてはいけない」では,いざというときに役に立たない。
おそらく大切な種子を子どもたちに触らせないように,
絶対に開けてはいけない,と伝えられてきたに違いない。
それが代を重ねるうちに本来の目的は失われ,
「開けてはいけない」という禁忌(タブー)だけが残ったのだろう。
マンジュシャゲもそれと同じではないだろうか。
いざというときのために,墓地周辺など,人が寄りつきにくい場所に植えて,
あれには毒がある,死人花だから掘ってはいけないと言い伝えてきたのだ。
それが,いつしかその目的が忘れられ,
不吉なイメージだけが残ってしまったのではないかと私には思えるのだが,いかがだろうか。

(『身近な雑草の愉快な生きかた』)
昨日の大雨で倒れたかな(・・?

 巻第十(秋の雑歌) 2235
秋田(あきた)刈る旅の廬(いほり)に時雨(しぐれ)降りわが袖濡(そでぬ)れぬ乾(ほ)す人無しに

秋の田を刈る,家を離れたいおりに時雨が降って,私の袖は濡れた。
かわかす人とてなく。
旅の廬…収穫時に作る仮小屋。旅は家郷を外にある意。
乾す人…家の妻。
(『万葉集(二)』)

ふつう小鳥のヒナは,親鳥から餌をもらうとすぐに脱糞するが,
親鳥はこれを直接くわえとって,その場で呑み込んだり,捨てにいったりす。.
キセキレイは,親鳥がヒナの糞を近くの水たまりや流れの中に捨てにいくのが特徴である。
水洗トイレを使ったうえに,くちばしまで洗っているから,きれい好きでまめな鳥だ。
この鳥はセキレイの中でも特にスマートである。

(『鳥のおもしろ私生活』)
 夫婦になって繁殖できるようになると,その結びつきは数年続くと言われています。
相手が死なない限り,一生一緒なのかもしれません。
そして,命尽きるまで子育てを繰り返します。
寿命がどれくらいかはわかっていません。
飼育条件下では数十年生きた記録がありますから,
野生のものでも長生きすればそれくらいになるのではないかと思います。

(『身近な鳥の生活図鑑』)
同志らの小さな眠りの沼にうかび睡蓮は音たてず咲くべし
(『寺山修司全歌集』沖積舎 昭和58年)
 ウラナミシジミ(シジミチョウ科)
 四十雀(しじゅうから)
シジュウカラ科の鳥。
頭は青黒色,背は灰青色,腹は白色。
山林に群れをなしてすむ。
語源はシジュウが鳴き声,カラはカラメの略で,群がり飛ぶ鳥につける接尾語。
中国では大山雀(だいさんじゃく)という。

(『動植物の漢字がわかる本』加納喜光/山海堂 2007年)
実柘榴のかつと割れたる情痴かな
(『句集 指環』)
木犀にとほき潮のみちにけり

 昭和13年作。
秀野の句文集『櫻濃く』はこの句から始まる。
以前の句は秀野自身の意に染まなかったのか,切り捨てられている。
(略)
 木犀の花の頃になると,何処からともなく芳しい香りが漂ってくる。
潮の香りもまた遠くまで匂う。
海に近い駅などに降り立つと,潮騒は聞こえなくても潮の香は感じることがある。
 若き日の秀野健吉はよく葉山や九十九里浜へ俳人仲間や文学青年達と泳ぎに行った。
九十九里浜では波乗りを楽しんだり,葉山あたりでは西東三鬼を始めとする男性陣を尻目に,
秀野は颯爽と泳いでいたという逸話がある。
 戦前は若い娘が水着姿になることに眉をひそめる人もあったという時代である。
 秀野は人目を気にしない。
それが秀野流である。
(後略)
(『石橋秀野の100句を読む』)
初風(はつかぜ)や道の雀も群(むれ)に入(い)り  佐野良太(さのりょうた)

『樫』(昭17)所収。
昭和29年63歳で没した新潟県生まれの俳人。
臼田亜浪に師事。
郷里の町役場ほかの役職を歴任したが,
句の風趣は名利にてんたんたる性格をうかがわせる。
「初風」は秋の初風で上代和歌以来重んじられた初秋の題材。
路傍に遊ぶ一羽二羽の雀が,ふと気づくと群(むら)雀の中に移っている。
初風が吹くといっているが,雀のしぐさそのものが,
いかにもそこに初風がたったようだと感じているのだ。
姿勢のいい,さわやかな句である。
(『新編折々のうた』大岡信/朝日新聞社 1983年)

 シジュウカラと一緒にいたのが


 ヤマガラ  スズメ目シジュウカラ科
性質怜悧でいろいろ芸を演ずるので愛玩され,よく人に知られている。
大体日本特有の種類であるが,台湾・朝鮮等にも分布する。
地方的に変化が多く,11亜種に分けられ,日本産のものに9亜種ある。
冬期には小群で森林中を移動,、昆虫の幼虫・卵等の動物質や木の実などを食する。
繁殖期は5~6月で,繁殖の状態は大体シジュウカラと同様である。
ツーツーチ,ツーツーチ,ツーツーチと良い声で囀る。

(『最新日本鳥類図説』内田清之助著/講談社 昭和49年)
はぎがすゝきがけふのみち
(『山頭火著作集Ⅱ この道をゆく』大山澄太編/潮文社 昭和47年)
よべのあめ白き木槿の咲きそろふ
(『しづ子』)

2016年9月29日木曜日

メールが届いたので…

小雨だったのでリハビリ散歩に出かけました。
雨粒一つでもナナホシテントウには重いだろうな…
穂という穂おなじたわみの猫じゃらし

アキノエノコログサのことを詠っていると思うのですが…(・・?
画像はアキノエノコログサです。
(しづけ)さや蓮の実の飛ぶあまたゝび  堀麦水(ほりばくすい)

江戸中期の俳人。
芭蕉没後に弟子の支考らが広めた平明体が
安直に流れる形で普及してゆくのに疑問を持ち,
蕉風出発期の初心に帰れと主張した。
「石を出る流れは白し花すゝき」「草枯れて牛も仰向くしぐれかな」など,
近代の写生に通じる観察眼を示す佳句がある。
秋,熟した蓮の実が房から飛びだす。
何度も飛ぶ。
そこにだけ小さな音があるのだが,
一瞬後にはしんかんとした静けさに包まれているのみ。
(『新編折々のうた』大岡信/朝日新聞社 1983年)
 バッタには,体が緑色をしたものから,茶色や灰色をしたものまでいる。
これは背景にまぎれて天敵の目を逃れようとする隠蔽(いんぺい)的擬態(保護色)だ。
草の葉の上にいる種類では,体が緑色で縦にすじ状のもようが入っている。
そして草の根元や裸地など地面にいる種類では,
茶色や灰色で背景とまぎらわしいまだらもようをしている。
またトノサマバッタやショウリョウバッタでは,同じ種類でも緑色のもと茶色のものがいる。
飼育していると,緑色の幼虫が脱皮のあとに茶色になってしまうことがあるので,
体の色は成長の途中で変えられるらしい。
周囲の環境に合わせて変化するのかもしれない。
幼虫で越冬して春に産卵するツチイナゴでは,夏の幼虫でいる間は緑色をしているが,
秋に成虫になると枯れ草に似た茶色になる。

(『虫のおもしろ私生活』)
 曼珠沙華みな見覚えの道のごと
(『花句集』中村汀女 求龍堂 昭和58年)
人来ては去り来ては去り曼珠沙華
(『鈴木真砂女全句集』)
アメリカアゼナ(ゴマノハグサ科)
コムラサキの歌ではありませんが(^^ゞ

山家集 下 雑 1220
  斎院おはしまさぬ頃にて,祭の帰(かへ)さもなかりければ,紫野もとほるとて

むらさきの 色なきころの 野辺なれや 片祭(かたまつり)にて かけぬ葵(あふひ)

斎館のある紫野とはいえ,斎院はおいでにならず,
紫の色もない紫野の野辺ともいうべきだろうか,祭の帰途の行列もなく,
葵のかずらをかけることもないことを思うと。

斎院…賀茂神社の斎院が欠けていた頃。
承安元年八月十四日頌子内親王退下,治承二年(1178)六月二十七日範子内親王卜定,この間の事。
祭の帰さ…賀茂祭が終って,斎院が斎館へ帰る折の行列。
紫野…現在の京都市北区,斎館のあった所。
もとほる…徘徊する。
◇むらさきの……斎院がおいでにならぬため紫野が色あせた感じのすることを詠ずる。
「むらさき」「野辺」は「紫野」を掛けていう。
◇片祭  往路の祭だけがあって「帰さ」がないのでいう。
◇かけぬ葵  賀茂祭の奉仕者は「葵のかづら」を飾りつけるが,片祭であるのでこういう。
(『山家集』)
 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり  三橋鷹女

 鷹女は俳句で自己をひときわ強く主張した俳人だった。
「夏痩せて」の句の場合,「嫌ひなものは嫌ひなり」という
自己主張だけで成り立っているといってよいが,
これは子どもが「嫌いなものは嫌いよ」と駄々をこねているのに近く,
なにが嫌いなのかなどは一切わからない。
作者ははっきりと主張しているが,逆に読者にとってはひどく曖昧だ。
だから,読者は自分の気持ちに合わせていろんな読み方ができる。
鷹女には「鞦韆(ぶらんこ)は漕ぐべし愛は奪ふべし」という句もあるが,
これなどまさに自己主張だけの句。
まるで格言だが,強度の自己主張はこんな格言に近くなって,
逆に固有の自己を感じさせなくなる。
俳句という短い詩型のこれはおもしろい性格だ。
(『俳句のユーモア』)
歩いていると豪雨予報(64m/h)のメールが届いたので
リュックにカバーを被せて雨の準備をしました。
 しばらく歩くと予報通りの大雨になったので
近くの休憩所に一時避難をしました。
この公園には,トイレや休憩所などがあるので助かります(^_^)b
 巻第十(秋の雑歌)2117
娘子(をとめ)らに行きあひの早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩の花咲く

(娘子らに)行き逢いの早稲を刈る時になったらしいな。
萩の花が咲いた。
▽「行きあひ」は「玉桙の道の行き逢ひに」(546)の例のように行って出逢うこと,
ここはその場所を言うか。
道の交差する所,地名とする説もある。
(『万葉集(三)』)
ショウキズイセン(ヒガンバナ科)
ぬれててふてふどこへゆく
(『山頭火句集』)
かなしきの上に泪を落とす時もわたくしの感情にはおぼれておらず
(『歌集 方代』)
かぎりなき稲は稔(みの)りていつしか天(あめ)のうるほふ頃としなりぬ
(『日本の詩歌8 斎藤茂吉』)
一度雨が小降りになったのですが,再び大雨になりました…
駐車場に着いたときは小雨になりました(o^^o)b

2016年9月28日水曜日

暑いけれど秋の香り(o^^o)

をりとりてはらりとおもきすゝきかな  飯田蛇笏(いいだだこつ)

『山廬集』(昭7)所収。
昭和37年77歳で没した俳人。
虚子に師事し、大正期「ホトトギス」黄金時代を現出させた。
「雲母」を創刊、主宰し、俳壇の重鎮として終始した。
すすきの、やや黄金色をおびた穂が、まだすっかり開ききらず、
ほのかなうるおいをもって、折りとった手にはらりと揺れかかる。
「はらり」とあれば軽さを反射的に思うのが普通だが、それが「おもき」と続く時、
すすき一本の霊妙な重みに、にわかに目を開かれる思いがする。
(『新編折々のうた』大岡信/朝日新聞社 1983年)
ササグモ(ササグモ科)

あはれ来て野には咏へり曼珠沙華  三橋鷹女
(『現代日本文學全集91 現代俳句集』筑摩書房 昭和32年)
稻の香や月改まる病心地
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
ヤブマメ(マメ科)
花言葉は「愛され上手」だそうです(^_-)
    木 犀

木犀の花のかほりに咽ぶ……
秋の日のうすらさみしい光を浴びつつ,
頻りに,死をねがふ
あたたかな午後の霊魂(たましひ)。


涙が胸の上にぽとりぽとりと,
いつのまにか,女は記憶にしのび込み,
その音を聞いてゐたつけが
もう,すやすやと眠つてゐる。


木犀の花が散つたら……
……冬……冬,冬……

(『山村暮鳥全詩集』彌生書房 昭和39年)


アオイトトンボ(アオイトトンボ科)
夏の句ですが,今朝も蒸し暑くて…

 陽炎(かげろふ)にくいくい猫の鼾(いびき)かな
(『新訂 一茶俳句集』)

 山家集 上 秋 294
おほかたの 露には何(なに)の なるならん 袂(たもと)に置くは 涙なりけり

野一面においた露はいったい何が露となったのであろうか。
自分の袂に置く露は,もの思いゆえのわが涙なのである。
(『山家集』)

カワセミ〔翡翠〕
 〝翡翠(ひすい)〟は古くから知られた宝石名である。
これを〝かわせみ〟と読ませているのは,この鳥の背面の色彩が,
翡翠色をしているからである。
〝川蟬〟の文字をあてることもある。
川に住む蟬に似た姿の鳥かと思ったら,どうも違うらしい。
カワセミの〝セミ〟は,この鳥の古い名である〝そび〟が転じたらしい。
それでは〝そび〟とは何か。
この鳥の別名である〝しょうびん〟の転じたものであるという。
 ヨーロッパ,アジア大陸に広く分布しており,
日本でも全国的に見られるが,北日本では夏鳥である。
池沼,河川,湖,小川,海岸などで小魚を餌にしている鳥だから,
冬に水面が凍ってしまうような地域ではすごせないからである。
 カワセミが日本中で急激に減ったのは昭和32,3年ごろである。
それまでは東京の明治神宮あたりでも必ず見ることができたのだが,
それ以後はまったくといっていいほど見られなくなった。
その原因を考えてみると,当時の日本は農薬が脚光をあびた頃で,
耕地ではやたらに使用されていた。
害虫を殺そうとした農薬が川や沼に流れ込み,魚を殺し,
魚を餌にしていたカワセミを殺すという結果になった。
そのころはまだGNP信仰の盛んな時代で,工場による水汚染,
人口増と都市下水道の不備からくる水の汚染など,水が汚されていた時代であった。
カワセミは清流でしかすめないので山に近い場所にしかいなかった。
そのカワセミがまた明治神宮の池でも見られるようになった。
しかし20年前はアユやウグイなどが多かった川も,
最近はフナやコイなど泥水でも生き残れる魚が多くなっている。
カワセミはもどりつつあるが,本当にきれいな川がもどってきたわけではない。

(『都市のバードウォッチング・バイブル』千羽晋示・柳沢紀夫著 朝日出版 1981年)
 ニホンカナヘビ(爬虫類
ショウキズイセン(ヒガンバナ科

チカラシバ(イネ科)

この道を久しくゆきしことなくてゑのころ草の穂はなびきをり  長谷川銀作
(『昭和萬葉集 巻七(昭和20年~22年)』講談社 昭和54年)

秋風の、腹立ててゐるかまきりで
(『山頭火大全』講談社 1991年)