2016年8月2日火曜日

性格の違いかな(*´∀`*)

カワセミに出会ったけど…
遠く離れていたのでピントを合わせる間もなく飛んでいった…
カルガモの親子は,もう泳いでいました(^-^)
    生きがい
岡山のノートルダム清心女子大学
附属小学校の校門の近くに
毎朝ひとりの老人が姿を現わす
「おじいさん お早よう」
「おじいさん お早よう」
こどもたちのやさしいあいさつに
一日じゅう生きる喜びを求めて やって来る
ある朝こどもはいった
「おじいさん 明日から夏休みだ
 秋になったらまた会おうね」
老人はさらに生きがいをおぼえて
さわやかな秋を待つ

(『母 河野進詩集』聖恵授産所 1975年)
   えんそく
       くどう みこ(4歳)

たいように
あたま かじられちゃうよ

(『こどものひろば』亀村五郎編・東 君平絵/福音館書店 1983年)
キツネノカミソリ(ヒガンバナ科)
母ガモの視線の先は
二羽仲よくオシャレをしているみたいですが(*^ー゜)
雨に打たれている鳥の体をよく見ると,
水がころころと弾かれて水滴になっているのがわかります。
どうして羽毛に水が染み込まないのでしょうか。
 それは羽毛に脂分があるからです


多くの鳥の羽毛の付け根付近には
「尾脂線(びしせん)」というニキビのような部分があって,
そこから脂分が染み出ます。
鳥は嘴でその脂を取り,羽毛に塗りつけているので水が弾くのです。
アヒルが嘴で盛んに尾の付け根を突いているのを見たことがありませんか。
この行動が,脂を嘴にとっているところです。

(『ポケット図解 鳥の雑学がよ~くわかる本』)
一方…
朝ご飯を探すのに一生懸命p(^-^)q
今朝は,二つのグループに分かれていました。
性格の違いが出ていたかな?
オシャレさんの二羽は,お母さんの所へ行きました(o^^o)
散歩をされている他の方たちに
「カルガモの親子は元気ですか?」と聞かれます。
みなさん子ガモたちが気になるのですね(σ(^_^;も)
獲物を瞬時に捕まえるカマを揃えてじいっとしている様子は
上品で気高ささえ感じます。
また、獲物を見つけてカマを構えたときの姿は

精悍で惚れ惚れしてしまいます。
反面、とても間の抜けたところもあります。
動くものにはすぐに反応するのに、
獲物が動かなければ足元にいるにもかかわらず気づかないのですから。

(略)

 私は根から昆虫好きであったわけではありません。
かまきりは恐ろしくって大嫌いでした。
子育ての中で、子どもの目線でものを見て、子どもの歩幅で歩き、
子どもとともに生き物に出会い、その喜びや感動をともにするうちに、
だんだん昆虫のすばらしさに気づいていったのです。

(『かまきり じいっと じいっと』広野多珂子)
メジロが水浴びをするタイミングとずれてしまった(>_<)

 ショウジョウトンボ(トンボ科)
手に足におきどころなき暑(あつさ)
(『新訂 一茶俳句集』)
 クサギ
花の芳香は集客広告として,さて,葉の異臭はなんのため?
 においのもとは精油成分のクレロデンドリン。
味は苦く抗菌作用もあるため,食べる虫はごく限られ,病気も少ない。
防衛物質なのだ。
そんなクサギの葉に集まる虫がいる。
カブなどのアブラナ科植物を食べて育つカブラハバチである。
成虫は雄も雌もクサギに来るが,葉を食べはせず,ただ表面をなめる。
クサギの葉の表面には毛や蜜線や微小突起が散在している。
カブラハバチは蜜線から蜜を得ると同時に
微小突起からクレロデンドリンをなめて摂取するのだ。
この虫にとってクレロデンドリンにはふたつの意味があるらしい。
ひとつは自身の鳥への防衛として,
もうひとつはカブラハバチの生殖機能を促進する強壮剤として,
なぜ食草でもないクサギの成分が媚薬になるかは謎である。

(『野に咲く花の生態図鑑』)

    善意の花

「わたしたちは金もうけより
人の喜びをもうけたいのです」
太陽もあたらない六畳一間に住む
貧しい信徒の夫婦がぽつり言った
大阪のビルの谷間に貧しいが逞しく咲く善意の花
もう十五年間,毎月欠かさず救らい献金を続ける
私の運動の大きいはげまし またなぐさめである

(『続母 河野進詩集』聖恵授産所 1976年)
梁塵秘抄 巻第二
119
常の心の蓮(はちす)には 三身仏性(さんしんぶつしやう)おはします 
(あか)つき穢(きたな)き身なれども 仏に成るとぞ説いたまふ

人の本来もっている清浄心(しょうじょうしん)、
たとえば蓮の花にも似たそれには、三身仏性(さんしんぶっしょう)が宿っておられる。
罪障深く、いわば垢(あか)にまみれた汚いこの身でゃあるけれども、
教えを受けて励めば成仏する。
このように仏はお説きになっている。

(『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学全集25』
臼田甚五郎・新間進一 校注・訳者/小学館 昭和51年)
 田安宗武
 いと暑き日、蟬の啼(なく)を聞(きき)てよめる
苦しげになく物からに蟬の聲を聞(きけ)ば猶しも暑くおもほゆ

▽いかにも苦しそうに啼くものだから、蟬の声を聞くとなお一層暑く感ぜられることだ。
(『近世和歌集 日本古典文学大系93』
高木市之助・久松潜一校注/岩波書店 昭和41年)