2016年7月30日土曜日

同じ仲間でも…

スズメの朝ご飯は,ハラビロカマキリではなく
カメムシ仲間のようでした(^。^)
今日は「土用の丑の日」
これはヒメガマだと思いますが,ガマは「蒲」焼きの語源になったという説があります。
今の鰻の蒲焼きのイメージではありませんが,
ウナギを開いて料理する前は,ぶつ切りだったそうです。
もう一つのブログで紹介したいと思います。
池に着いた時は草むらの中にカルガモの母鳥の頭だけが見えました。
時おり,子ガモが動く姿が見られたのですが,なかなか出てこなかった。
寝坊をしたのかな(*^▽^*)
しばらく歩いて戻ってくると

5羽とも元気に泳いでいました(^_^)v

母ガモの姿は凛凛しいですねp(^-^)q


泥の中にスポッとはまり込んだりしながら
朝ご飯を探していました(*^▽^*)


お尻振り振り歩く姿も可愛かったです(^-^)
一歩遅くて,メジロが水浴びをした後
羽づくろいをしているところでした…

今日は,土曜日なので
お父さんとお母さんに連れられて
幼い兄妹がセミ取りをしていました(o^^o)
キカラスウリ
陽ざしを浴びて輝いています☆
 山家集 中 雑 1027
うつり行く 色をば知らず 言(こと)の葉の 名さへあだなる 露草の花

うつろいやすいその色のことはともかくとして,
言葉の上でさえ露というはかない名を持つ露草の花であるよ。
◇露草 月草ともいわれ,花摺り衣に使われるが,
色が褪せやすく,変りやすい喩えにも用いられる。
(『山家集』西行著 後藤重郎校注 新潮社 1982年)
池に戻ってくると母鳥が両羽を広げて威嚇していました。
他のカルガモが子どもたちに近づこうとしていたのです。
母鳥が追い払っていました。
    雑 草

どうぞ庭の草はそのままおいてやって下さい
どんな草でもきれいな花が咲きます
そう言って雑草をひかせなかった母
小さい孫たちにもたのんでいた母
雑草だけで充分たのしかった母
草花のように素朴な母でした

(『母 河野進詩集』聖恵授産所 1975年)

とかげのくらし」小学校6年生の男の子の研究です。
ニホンカナヘビと目が合いました(*゜∀゜*)
向日葵や日ざかりの機械休ませてある
(『山頭火句集』村上護 編 ちくま文庫 1996年)
蟬させば竿(さお)にもつるゝ柳哉
(『子規句集』高浜虚子選 岩波文庫 1941年)
ペアルック(同色型)のアオモンイトトンボ


愛染明王を連想する(*^▽^*)
文殊は獅子に乗り
普賢は象王に跨る
妙音は蓮台を化
(け)
維摩は一床に臥す



文殊は獅子に乗り
普賢は象王に跨る
妙音は蓮の台(うてな)を幻出し
維摩は寝台に病臥する
(『日本の禅語録 第二十巻 良寛』入矢義高 講談社 昭和53年)
※漢詩は略して読み下し文と現代語訳を転記しています。
(「妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四」)

妙音菩薩は座を起(た)たず,身は動揺せずして,三昧に入り,
三昧の力をもって耆闍崛山
(ぎしゃくつせん)において,
法座を去ること遠からずして八万四千の衆宝の蓮華を化作せり。
閻浮提金
(えんぶだいごん)を茎となし,白銀(びゃくごん)を葉となし,
金剛を鬚
(しべ)となし,甄叔迦宝(けんしゅくかほう)を以てその台(うてな)となせり。

     ○

(「二三 ガドガダ=スヴァラ」)

偉大な志を持つ求法者ガドガダ=スヴァラは,その仏国土から出発することなく,
またその座席から立ち上がることなく,そのような三昧に入った。
求法者ガドガダ=スヴァラがその三昧に入るやいなや,このサハー世界において,
グリドゥラ=クータ
(霊鷲山(りょうじゅせん))における如来の教えの座の前に,
八万四千本の蓮華が現われた。
それらの蓮華は黄金の茎と銀の葉をもち,花はキンシュカの色をしていた。

(P218~219)
(『法華経(下)』坂本幸男、岩本裕 訳注 岩波文庫 1976年)
蟬鳴(せみなく)や行者(ぎやうじや)の過(すぐ)る午(うま)の刻(こく)

油照りの暑熱をかきたてるように蟬が鳴きしきる。
人気(ひとけ)のない道を、スタスタと修行者が通りすぎてゆく。
日は頭上にあって、まさに午の刻だ。
◇行者 仏法の修行者や修験道の山伏をいう。
当時の京都では山伏を見かけない。
(『與謝蕪村集』清水孝之校注  新潮社 昭和54年)
アオスジアゲハ