2016年6月19日日曜日

雨が弱まって…

降りつづいていた雨も少し弱まったので
ムラサキシジミが休んでいました(^。^)
朝露にきほひて咲ける蓮(はちす)葉の塵にはしまぬ人のたふとさ
(『良寛歌集』東郷豊治/創元社 昭和38年)

きほひ【競ひ】《勢い込んでわれ先にする意》①われ先に行く。
②…と先を争う。
(『岩波古語辞典(旧版)』大野晋他編 岩波書店 1974年)
 身の程(ほど)の なきに慕ふもよしなやな
   あはれ一村雨(ひとむらさめ)の はらはらと降れかし

◇「身の程のなきに」と,数ならぬ身の及ばぬ恋を嘆いたもの。
「無き」に「泣き」をかけて,「泣いてみたとて慕ってみたとて」の意にも解される。
「一村雨」は,ひとしきり激しく降っては止み,止んではまた降る雨。
一村雨を乞い望むのは,雨が草木をうるおして育てるところから,
情けあるもののたとえ(慈悲の雨)とし,身の淋しさを慰めるためとも,
単にわびしい気持で過ごしたい意ともとれる。
「数ならぬ卑しい身であるのに,いくら慕ってみたところで,甲斐のこと。
ああ,せめて村雨なりと降ってほしいものよ。」という意で,
中世末から近世へかけて類歌も多い。
(『新訂 閑吟集』浅野健二校注 岩波文庫 1989年)
宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる
(『決定版 尾崎放哉全句集』伊藤完吾・小玉石水編 春秋社 1993年)
今朝は,雨が降っていたので90mmマクロレンズ…
それでもスズメの親子がいたので
親の後をついていく子スズメがかわいいなと(^。^)
蝸牛(でゝむし)の雨雲さそふ角のさき 正岡子規
(『現代日本文學全集6』筑摩書房 昭和31年)
 (うはばみ)の鼾(いびき)も合観(ねぶ(歓))の葉陰哉

○合歓(の花) 和歌に「眠る」と掛け、男女交合の比喩に詠まれる。
○蝮 大蛇。大酒飲みにたとえられる。
▼夕暮れに花咲く優しい合歓の葉陰。
そこからは男女のむつ言だけでなく、時に蝮の鼾も聞こえてくる。
おおかた、大酒を食らい酔って眠っているのだろう。
和歌伝統を逆転した滑稽。
(『蕪村全集 第一巻 発句』尾形仂・森田蘭 講談社 1992年)
単体雄しべ すべての雄しべが下部で合着する。
(『写真で見る植物用語』岩瀬徹、大野啓 全国農村教育研究会 2004年)
夕立にうたるゝ鯉のかしらかな
(『明治文学全集53 正岡子規集』筑摩書房 昭和50年)
エゾミソハギ(ミソハギ科)
すいれん【睡蓮】
未(ひつじ)の刻(今の午後二時ころ)に開花するというので,ひつじぐさの別名をもつ。
夏,土中の根茎より水面まで長く伸びてきた花梗(かこう)の先に,
蓮に似た花をつけ,夕方には閉じてしまう。

(『岩波現代短歌辞典』岡井隆監修 岩波書店 1999年)
アオモンイトトンボのカップルですが
首根っこを押さえられてもまだ心を許していないような…(*^ー゜)
コシアキトンボが産卵していました。
ヤブミョウガ(ツユクサ科)
クサガメがいたのですが…
産卵のために穴を掘っていたようです…
頭を引っ込めてジーッとしているのでその場を離れました。
ネジバナですが,いろいろ性格に違いがあります(*^ー゜)
 ネジバナは芝生などに生える雑草だが,ピンク色の花がかわいらしいので
刈られずに残されている光景によく出会う。
美しいこともサバイバル戦のの武器になるのだ。
花は美しいはずで,ネジバナは小さな雑草ながらランの仲間なのである。
ランの仲間はどれも美しく複雑な花の形をしているが,ネジバナも負けてはいない。
白いレースのような花びらが下に一枚つき出ていて,
それにかぶさるようにピンク色の花びらがかぶとのように重なっている。
小さな花ながら,虫眼鏡でのぞくとなかなか美しい。

(『身近な雑草の愉快な生きかた』稲垣栄洋、 三上 修 ちくま文庫 2011年)
紫陽花に雨は降れども音立てず
(『新装版 季題別 鈴木真砂女全句集』角川学芸出版 2015年)
クダマキモドキ類の幼虫かな(・・?
もう一度見に行くと,穴を掘ったままでカメがいません。
もし卵を産んだとしても,公園にはカラスが多く,
こんなに明るいときに産んだらすぐにカラスの餌食になると思います。
それにしてもここの土はかたかったですよ…
(あしなへ)の三熊(みくま)もふ(まう)でやかたつぶり

○蹇 足の不自由な人。
○三熊まうで 熊野三社(本宮・新宮・那智)に参詣すること。
▼蝸牛がのろのろと凸凹の道を這っている様子は、
説教節の小栗や俊徳丸のように足の不自由な人が一心に三熊野詣でをする姿に似ている。
(『蕪村全集 第一巻 発句』尾形仂・森田蘭 講談社 1992年)
蕪村の句を読んでいると,花鳥風月だけでありません。
障碍者など差別された人々へのまなざしが温かいと思います。
 岩倉の狂女恋せよ子規(ほととぎす)

時鳥よ,お前の鳴き声はけたたましくて意味も分からぬが,
何かに恋い焦がれているようだ。
兼好も「女の性(しやう)は皆ひがめり」といったから,
無心の岩倉の狂女に恋するのが,お前には一番ふさわしかろう。

五車反古に「数ならぬ身はきゝ侍(はべ)らす」(『徒然草』百七段)の前書がつく。
放心の狂女と時鳥との親近性を発見し,擬人法による組み合わせのペーソスがある。
◇岩倉 京都市北区北岩倉にある不動堂の滝は狂気の治療場(『名所都鳥』)。
岩倉には時鳥も多い。
(『與謝蕪村集 新潮日本古典集成』清水孝之校注  新潮社 昭和54年)
5月に京都の岩倉を散策したのも蕪村の句を知って訪ねたくなったのです。