2016年6月30日木曜日

祇園~八坂神社

今朝は,電車に乗って「祇園四条駅」で降りて南座側の出口に…

2016年6月29日水曜日

雨の予報だったけど…

 巻第八 1630 大伴宿禰家持の坂上大嬢(さかのうえのだいぢやう)に贈れる歌
高円(たかまと)の野辺(のへ)の容花(かほばな)
     面影(おもかげ)に見えつつ妹(いも)は忘れかねつも

高円の野辺の容花のように,面影にばかり見えつづけて,あなたは忘れることができないよ。
容花 ヒルガオ。
面影 容花のカホから「面影」につづける。
(『万葉集(二)』)
明日(あす)も知らぬ露の身を,せめて言葉をうらやかに (小歌)

明日の命さえもわからない,露のように無常なこの身であるものを。
せめて,穏やかで優しい言葉をかけてください。

無常の世を生きる束の間の生き甲斐は,
愛する人の優しい言葉を聞く喜びから生じるのです。
(『戦国時代の流行歌 ~高三隆達の世界』)

 露の玉つまんで見たるわらべ哉
(『新訂 一茶俳句集』)

五月雨にうちひしがれている姿を見るとつい撮したくなる('-'*)

東へも向(むく)磁石あり蝸牛(かたつふり)

▼触覚を磁針のように振り立てて這って行くかたつむり。
ただし、角の向きは左右別々。
東へも向く磁針を片一方に持っている。
(『蕪村全集 第一巻 発句』尾形仂・森田蘭/講談社 1992年)
ヤブミョウガにとまっているのは,ホタルハムシ(ハムシ科)かな(・・?
  わすれぐさ 萱草
[今名] やぶかんぞう(ゆり科)
[考証] ワスレグサの漢名は萱草。忘草は借字。
『倭名類聚抄』に「兼名苑云 萱草 一名 忘憂 漢語抄云 和須礼久佐」とあって,

今もカンゾウという。
この草を身につければ,物思いを忘れるというのは中国の俚諺(りげん)から出たもので,
嵆康(けいこう)の『養生論』に
(「省略」)とある。
 ところで,この萱草であるが,牧野富太郎博士によると,
萱草はわが国には自生はなく,
わが国でカンゾウと呼んでいるのはこの変種のヤブカンゾウであると

『国訳本草綱目』の頭注に,
「牧野云ふ,萱草の本品は我日本にはない。
従つて和名がないから,中国産萱草をホンクワンゾウと今回新に之れを命じた。
此品は我邦のクワンゾウに似たものではあるが,固より同種ではない。
我邦にヤブクワンゾウ又単にクワンゾウ又(また)の名ワスレグサと云つて,

八重咲のものがある。
是れは支那にも産し,救荒本草にはこれを萱草花として図説して居る。
此八重咲のもは支那の萱草の一変種で,ノクワンゾウの変種ではない」と述べられている。
これに依って萱草,古名,ワスレグサは,

ヤブカンゾウに当てることが植物学的に正しいように思われる。
(『古典植物辞典』)
ツユクサ 
ツユクサ科の一年草。
草丈三十センチ余。
平行脈のある細長い葉が互生する。
緑色の二枚の苞(ほう)にはさまれるように咲く左右対称の青い小花は、
染料に用いられ、これで染めた色が露草色、はなだ色。
(『くさぐさの花』高橋治/朝日新聞社 1987年)
毒キノコのオオシロカラカサタケだと思います。
雨がやんだのでミミカケものんびりとしていました(*^-^*)
 ハマカンゾウだと思いますが(・・?


マルバツユクサ(ツユクサ科)
なんかサンタさんに見えた(*゜∀゜*)
てるてる坊主のようなクチナシ
おかげで雨が降らなかったのかな(^。^)
なんかワンちゃんの尻尾のような(*゜∀゜*)
子スズメも束の間の晴れ間にホッとしているかな(o^^o)
マクロレンズを付けているカメラは,6年前に購入しました。
デジタルカメラは,記録用媒体にフロッピーを使っていたデジカメも体験(当時は,便利だと思っていた)。
デジカメの進歩に高価なデジイチを買うのをためらっていて
やっと中古のデジイチを購入しました(600万画素)。
満足して使っていたけど…
 そのデジイチも山を歩いていた時に汗で壊してしまった(^0^;)
で,このカメラを使うようになりました。
ISO感度を200で使っています。
800にすると,昔,ASA800のカラーフィルムが出たころの粗い画像のような…
でも,買った時は,いいなと思っていました(o^^o)
レンズも40年近く前に購入したマニュアルレンズ(*^ー゜)
フォーカスリングがゴム製になっているけど,長年使っているので浮いてきている…
ピントも露出もマニュアルでいいかげんにやっています(^^ゞ
 何よこの 忍(しの)ぶに混(ま)じる草の名の 我には人の軒端(のきば)ならん

◇忍草(しのぶぐさ)のように人目を忍んで逢った仲の自分から遠ざかる恋を嘆く歌。
男女いずれにもとれるが,類歌からみて女の側の歌かと思われる。
結句を「軒端なるらん」とすれば短歌形式の小歌。
「忍ぶに混じる草」は,暗に忘れ草(萱草)をさす。
下句は忍草の縁で,人の「退(の)き」から「軒」へかける。
(省略)
「どうしてまあ,忍草に混じって生える忘れ草のように,あの人は私のことを忘れて,
私の許(もと)から遠のいてゆくのでしょうか。
(丁度忍草のように,軒先を借りただけということなのかしら)。」
(『新訂 閑吟集』)
顔を見るとショウリョウバッタのような…
 コナスビ(サクラソウ科)




雀らも西日まみれやねぶの花
(『俳句シリーズ 石田波鄕 人と作品12』楠本憲吉/桜楓社 昭和37年)
  万葉集巻第十二(寄物陳思)3060
忘れ草我が紐(ひも)に付く時となく思ひわたれば生(い)けるともなし

忘れ草を私の紐に付けた。
いつという時もなくずっと思い続けているので,生きる力もない。
▽「忘れ草」は,身につけると憂いや恋を忘れると考えられた草。
(『万葉集(三)』)

2016年6月28日火曜日

しとしと雨が降りつづき…

 薫(くん)じぬるはすや浄土(じょうど)の九品(ここのしな)

眼前の匂うような蓮の花を見て,極楽浄土にあるという九品(くぼん)の
蓮台(往生の九つの等級)の上品上生(じょうぼんじょうじょう)の蓮を想像する。
 (『捨女句集』)
  スイレン科の多年草。
インド原産。
池沼、水田に栽培。
花は多弁で、紅、白、淡紅色など。
昼咲き、夜にしぼむ。
果実の入った花床がハチの巣に似ているところから「はちす」の名がある。
実と根茎は食用。

(『くさぐさの花』高橋治/朝日新聞社 1987年)
前向ける雀は白し朝ぐもり  中村草田男
(『日本の詩歌 19』)
かくれ咲くひとつの蓮や稲の花  秋桜子
(『日本の詩歌 19』)
蓮池の浮葉水こす五月雨
(『明治文学全集53 正岡子規集』筑摩書房 昭和50年)

蝸牛(かたつぶり)何おもふ角の長みじか

▼かたつむりよ、お前はその小さな角の片方を長くしたり短くしたり、
一長一短を決しかね、何を思い案じているのか、という揶揄。
(『蕪村全集 第一巻 発句』尾形仂・森田蘭/講談社 1992年)
ヤブミョウガ(ツユクサ科
ヤブカンゾウ(ユリ科ワスレグサ属)
 巻第十一(寄物陳思) 2475
わがやどは甍(いらか)しだ草生(お)ひたれど恋忘(こひわす)れ草見るにいまだ生ひず

我が家の屋根にはシダ草が生えているが,恋忘れ草は見てもまだ生えて来ない。
▽「恋忘れ貝」は五例(964など)あり,「忘れ草」も334などに見えるが,「恋忘れ草」はここのみ。
(『万葉集(三)』)
 巻第七 1255
  時に臨める
月草(つきくさ)に衣(ころも)そ染(し)むる君がため綵色(まだら)の衣摺(す)らむと思ひて

まず月草で衣を染めることだ。
あなたのために色どり美しい衣を摺ろうと思って。

時に臨める その折々の歌。民衆の生活上の折々。この歌は祭礼の折か。
綵色の衣 色模様の衣。
摺らむ こすり付けて染める。当時通常の染法。
(『万葉集(二)』)

ムクゲとフヨウを区別するポイントに雌しべがあります。

ヒメガマ(ガマ科)のようです。
 糸蜻蛉(いととんぼ) 
灯心蜻蛉(とうしんとんぼ) とうせみ 豆娘(いととんぼ)
[名前の由来・文化]
体が糸のように細いところから名付けられた。
「灯心蜻蛉」は体が行灯(あんどん)の心(しん)のように細いため。
「とうすみ」とは「灯心」が転じたもの。

(『俳句の鳥・虫図鑑』復本一郎監修 成美堂出版 2005年)

露ちるやむさい此(この)世に用なしと
(『新訂 一茶俳句集』)

 紫陽花(あぢさゐ)が地に頭(かしら)をば垂れたればさもせまほしくなりぬ雨の日
(『与謝野晶子歌集』)
バラ園のバラも萎れ始めていたけど
雨に濡れて生き生きしていました(o^^o)




 咲きあふれこぼるるときに容赦(ようしゃ)なく花はおのれを崩し終りぬ  斎藤 史
(『日本の詩歌 29 短歌集』中央公論社 昭和45年)

 昼顔に草鞋を直す別れ哉  正岡子規
(『現代日本文學全集6』筑摩書房 昭和31年)

 柘榴咲く傷すけられし人の言
(『しづ子』)