2016年12月31日土曜日

気温は低いけど穏やかな大晦日(^。^)

霜のコートを着たカタバミ('-'*)
カタバミの種の飛ばし方は面白いですよp(^-^)q
カタバミのたね」(動画)
メジロがビワの花を訪問するタイミングと合いました♪
 ビワ(枇杷)は中国の江南地方が原産で,
古くわが国に渡来したという説もあるが,
わが国西南部には時に自生が見られるという。
ビワ属はアジアの温暖地域に30種が知られる。
桜島のような火山噴出土の地帯でよくできるが,
イタリアでも同様なとこで栽培されている。
日本,中国のほか,よく作られるのは地中海沿岸とカリフォルニアである。
現在のわが国の栽培品種は江戸初期に中国から伝来したものの改良種。
バラ科の果樹には珍しく常緑の厚い葉を持ち,
年の暮れに白い五弁花がひっそり群がって咲く。
そのくせ寒さや雪に弱く,関東から南でないと結実がよくない。

(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫1988年)
ハラビロカマキリの卵鞘(らんしょう)
 なんか薄が空に浮かんでいるみたい(^。^)

金槐和歌集 巻之上 冬部
   老人憐歳暮
(おい)ぬれば年のくれ行(ゆく)たびごとに我(わが)身ひとつとおもほゆるかな

我身ひとつと―自分一人にだけ年のくれだと。
〔大意〕老年になると年のくれゆくたび毎に自分一人にだけ年がくれてゆくのだと思われる。
(『山家集 金槐和歌集 日本古典文学大系29』
   風巻景次郎・小島吉雄校注 岩波書店 昭和36年)
薄い氷が張っていました。

 「池に氷が張った」「スケートができるぐらいに厚い」「池の氷がとけた」――
日本の大部分の地域では,川や池の結氷の状態をいい表すとき,
この程度に区別するだけである。
ところがロシア語には,海や川の氷の状態を示す言葉が実に沢山ある。
寒い国では,川が凍っているときと,そうでないときでは,
隣の部落との交通手段が全然異なることを一つ取り上げても,
氷の状態が暮らしに,いかに大きな影響を及ぼすかがわかる。
日本に氷の言葉が少ないのは,大多数の人の生活には,
氷はあまり関係がないためであろう。
しかし北海道はちがう。

(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
鵙啼き過ぐうしろのみだれ見せたくなし  梅津智子
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
野良猫が影のごと眠りえぬ我に
(『山頭火大全』 講談社 1991年)
 「コンコン」と木を叩く音が聞こえたのでコゲラがいるなと辺りを見回しました。
Kazeは,左耳を失聴しているので音が聞こえる方角が分かりません。
それで枯れた枝などを探すといました(^_^)v
キツツキの仲間は害虫のために弱っている木(枯れた枝などがある)を
つついて中に入る虫を探しているので樹木の見方ですよp(^-^)q
キツツキの特徴といえば,木に垂直に止まる姿です。
コゲラも小さいといえキツツキですから,もちろんできます。
足もそれができるように,スズメなどと違い,
対趾足(たいしそく)とよばれる構造をしており,
前に2本,後ろに2本の指で,がっちりと止まれます。
もちろん,そのまま,木を叩く動作もします。
ただし,大型のキツツキよりも弱々しいものです。
大型のキツツキがタラララララララララと,
大きな音をたてて1.5秒くらい叩くのに対して,
コゲラは,コココココと音も小さく,叩いている時間も短めです。
それでも,0.5秒の間に10回くらいは叩いています。

(『身近な鳥の生活図鑑』)
(おい)の名の有(あり)(とも)しらで四十(しじふ)から

四十雀(しじゅうから)が四十歳を初老とも知らぬ気に,若々しく囀(さえず)る。
(『袖珍版 芭蕉全句』)

誰やらが口まねすれば目白鳴く  正岡子規
(『俳句の鳥・虫図鑑』復本一郎監修 成美堂出版 2005年)
尾はカワラヒワに似ていますが,羽を広げると区別ができます。
  アトリ科の鳥は世界に120種類あまりいるが,
せまい意味でのアトリの仲間(アトリ亜科)は
たった3種類しかおらず,日本ではアトリだけだ。
カワラヒワやベニマシコ,イスカなどは,すべてヒワの仲間(ヒワ亜科)という。
冬鳥として彼らを迎えるだけの私たちにはピンと来ないが,
ふたつのグループは繁殖の方法が大きく違う。
アトリたちはまずオスが広いなわばりをつくってさえずり,メスを呼び込むという手順だ。
食事もその中ですませ,基本的にはなわばりから出ない。
そのため,シベリアの広い樹林地帯にアトリのつがいが均一に散らばることになる。
一方,ヒワの仲間はまずつがいをつくり,
それから巣のまわりのせまい範囲をなわばりとして守る。
広大な針葉樹林の中に,そんななわばりが数つがい集まっている場所と,
まったくない場所がある。
彼らは誰のなわばりでもない遠くまで飛んでいって食事をする。
ヒワの仲間は植物の種子を吐き戻してヒナに与え,
種子だけで子育てをするものさえいるのに対し,
アトリの仲間は主に昆虫でヒナを育てる。
アトリという鳥はその名前でグループを代表していながら,
こうした生態の違いで分けてみると,グループの中では少数派なのである。
(『鳥のおもしろ私生活』)
虫を食べているのかな?
(にはたづみ)また鶺鴒の黄を点ず  相生垣瓜人
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)

 にわたずみ【潦】〔「たづみ」は,淵(フチ)の意〕
「地上にたまって流れる雨水」の意の雅語的表現。
(『新明解国語辞典<第四版>』)
ふゆ【冬】
 冬という語は,すでに『万葉集』でも使われている。

  山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば  源宗于

 <人目(め)も草もかれぬとおもへば>の<かれ>は,人目が離(か)れることと,
草が枯れることの両方も意味を持つ掛け詞である。
冬というとこの『古今和歌集』の歌のように,大地の植物の多くが枯れはて,
寒さに閉ざされる死の季節というイメージを抱きがちである。
しかし折口信夫は,「冬」とは魂が「殖(ふ)ゆ」る時期であるとしている。
冬は,生命力を内に秘めた時期でもある。
「冬籠(ふゆごも)りは「春」「張る」にかかる枕詞である。
古典和歌の伝統的美意識おいて,冬ふる雪に花の幻影を見る歌が多いことも,
そのような季節感の中に置いてみるといっそうよく理解できる。
(『岩波現代短歌辞典』)
気温が低くても風が吹いていなかったので
そんなに厳しい寒さとは思わなかったです。
 気の早い子は後悔しているだろうな(^^ )
と言うのも足元には霜が降りていました(^▽^)
大晦日(おほみそか)定めなき世のさだめ哉   井原西鶴

◇世の中は定めないものだが,
借金とりに苦しめられなどする大晦日(冬の季題)はきちんとやってくる,
それもどうにもならない世だの意。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学大系92』
   阿部喜三男・麻生磯次校注/岩波書店 昭和39年)
22日に修理依頼をして年内は無理だろうと思っていたら
今日電気量販店に届き,受け取りの行って来ました(^_^)v
修理報告書を見ると,ACアダプターの不具合だったので
アダプターを交換していただきました。(^_^)b

2016年12月30日金曜日

寒さが少しゆるんでくれて(^。^)

今朝は,霜が降りていました。
まだ,ギックリ腰の余波が残っているのでマクロ撮影はあきらめています(^0^;)
  不 疑
わが心たひらになりて快し落葉をしたる橡の樹(き)みれば
(『日本の詩歌8 斎藤茂吉』)
 モズ(L:20cm)
頭部は大きくて尾は長め。
雄は頭が橙褐色,背が青灰色で,尾は黒褐色,
翼は黒くて初列風切の基部に白斑がある。
眉斑はバフ色で,過眼線は黒くて幅が広い。
下面はバフ色で胸側から脇が橙色。
夏期には頭の灰色味が強く,下面の橙色味が淡い個体も見る。

(『フィールドガイド 日本の野鳥』)

 さざんか【山茶花】さざんくわ
 散る花がこれだけ印象に残る花も珍しい。
咲いているときの華やかさはあまりないが,散る姿が「侘び」「寂び」に
敏感に反応する日本人には忘れがたい記憶として残るのだろうか。

  さざんくわのいくひこぼれてくれなゐにちりつむつちにあめふりやまず  会津八一

 山茶花はその花が新しく伸びた枝の先につくこともあって,
時期になると木全体が白や紅に染まって華やかだ。
しかし,派手な趣きはなく,やがて静かに枝を離れた花びらが地面に舞い落ちるさまが目につくようで,
花そのものをさまざまな風景のなかにおいて詠まれた作品が多い。
               (大谷雅彦)
(『岩波現代短歌辞典』)
(モズ)雌は頭が茶褐色,背は褐色で翼には白斑がなく,過眼線は褐色。
下面は淡褐色で褐色の細かい波状横斑がある。

(『フィールドガイド 日本の野鳥』)
古くからただヒタキとよばれるのはジョウビタキのことで,
その火打ち石をたたくような声から火焚(ひた)きの名がつけられたと言われる。
ジョウについてはヒタキ類の中では上等であるということから上,
雄の頭が白いことから老人を意味する尉(じょう)がついたという説がある。

(『自然観察シリーズ[20]<生態編>バードウォッチング』
     高野伸二 小学館 昭和58年)
金槐和歌集 巻之上 冬部
   老人憐歳暮
白髪(しらが)といふ老(おい)ぬるけにやことしあれば年の早(はや)くも思(おも)ほゆるかな

老ぬるけにや―老いた故であろう。
○ことしあれば―事のあれば。
〔大意〕白髪になったといい,また年老いたせいでもあろうか,
何か事あるにつけて,年の早くたつのを覚えることだ。
(『山家集 金槐和歌集 日本古典文学大系29』
   風巻景次郎・小島吉雄校注 岩波書店 昭和36年)
カワセミ 翡翠 カワセミ科 全長約17cm
 スズメくらいの大きさ。
頭が大きく,くちばしは長くて先がとがっている。
上面は青緑色,下面は橙黄色,おすのくちばしは黒く,めすでは下くちばしの基部が赤い。
幼鳥は色彩が鈍く,胸に黒みがあり,足も黒っぽい。
 多くの地方では留鳥として,湖沼,池,川,濠(ほり)等にすむが,
北の地方のものは冬移動する。
水べの石やくい,水の上の横枝や草の茎にとまって,水中のえものをねらい,
見つけると急に飛びこんでくわえる。
空中で停空飛翔をして,えものをねらってから飛びこむこともある。
とったえものは石や枝に何回もうちつけ,弱らせてから飲む。
えものは小魚がおもで水生昆虫もとる。
 水に近い土手に自分で穴をほって中に産卵するが,
近年は適当な場所が少なくなったため,
水から相当離れた土手も利用している。
繁殖期にはおすがめすにえさを運ぶ求愛給餌をする。
水面上を低く直線的に速く飛び,ツーとかツッチーとか金属的な声で鳴く。
カワセミのセミはこの鳥の古名ソニに由来するといわれる。

(『自然観察シリーズ[20]<生態編>バードウォッチング』
      高野伸二 小学館 昭和58年)
 こんな顔を見ると老人と言うよりも幼児のようですよね(^_-)
みどり子(ご)の頭巾(づきん)眉深(まぶか)きいとほしみ   与謝蕪村

母親に背負われている幼児が寒さを避けるために頭巾をかぶっている。
少し大きめの頭巾を目深(まぶか)くかぶっているため額も見えないほどであるが,
頭巾の奥にぱっちりと開いた瞳のかわいいこと,という句意。
「いとほしみ」といって,「いとほしさ」としなかったのは,首尾に「み」を配して,
中七の「ま」に照応させる整調のためであろうし,
また「いとほしむ」という動作の余情をとどめる表現効果が考慮されているとの解がよかろう。
季語は「頭巾」。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』
     栗山理一他校注・訳 小学館 昭和47年)
   妹と共に小鈴宿下りの日に来る
子守りして嬉しく落葉歩りく娘(こ)
(『決定版富田木歩全集 全壱巻』新井声風編著 世界文庫 昭和39年)
モズ♀に出会ったあと
モズ♂にも出会いました。
冬鵙がきりきりのこす大眼  加藤楸邨
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
空を見上げているように見えますが,
この直前,モズのバトルを目撃…
(を)しめども年(とし)は限(かぎ)りとなりにけりわが思(おも)ふことのいつか果(は)てなむ

  *原田正貞あての書状の中の歌。同状には正貞の歌の添作があるから,
   本歌もあるいは正貞の作かもしれない。
(『良寛歌集』東郷豊治/創元社 昭和38年)
日本の田園は田畑と雑木林や屋敷林が肌理(きめ)こまかく入り乱れた状態で,
モズの住む場所としてはお誂えむきの場所であり,
それゆえにモズが昔から身近な鳥であったのだ。
このような方式で生活する鳥にとっては,仲間が近くにいて猟の邪魔をしては具合が悪い。
だからモズはめいめいなわばりを占有して仲間を排除することになる。
その必要性は獲物の乏しい冬にはとくに大きい。
モズは冬には雌雄別々に一羽ずつなわばりを占める。
そのなわばりを設定し,互いに所有を宣言しあうのが9月,10月であり,
あの秋の高鳴きがその宣言なのである。
 
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫 1988年)

2016年12月29日木曜日

定期通院の後(^。^)

 金槐和歌集 巻之中 戀之部
  會不逢戀(あひてあはぬこひ)
今更になにをか忍ぶ花すゝきほに出(いで)し秋も誰(たれ)ならなくに

会不逢恋―一度逢うてそののち逢えない恋。
○花すゝき―「ほ」の枕詞。
○秋―「すすき」の縁語。
○誰ならなくに―誰でもない,あなたであったものを。
〔大意〕今さら何を遠慮するのですか,人目を気にする必要もないではないか,
この恋を人に知れるように外部にあらわしたのは,
誰でもない,あなた自身だったのではありませんか。
(『山家集 金槐和歌集 日本古典文学大系29』
   風巻景次郎・小島吉雄校注 岩波書店 昭和36年)
居りよさに河原鶸来る小菜畠  支考
(『俳諧歳時記(秋の部)』横關愛造編 改造社 昭和29年)
サクラの木が弱っているようです…
ヒイロタケ(37/56)かな?
鵙よ鵙ピンチヤンするなかゝる代ニ
(『古典俳文学大系15 一茶集』
   丸山一彦 小林計一郎校注者 集英社 昭和45年)
すずめ【雀】
 屋根や軒先の隙間で繁殖するが,鷹の巣の隙間に営巣することもある。

  飛びあがり宙にためらふ雀の子羽たたきて見居りその揺るる枝を  北原白秋
  春は軒の雀が宿の巣藁にも紅(あか)き毛糸の垂れて見えけり  北原白秋

 一首目は細かな生態観察が生きており,二首目は雀の営巣を歌う。
『雀の卵』(1921)のころ,雀は白秋にとって特別に親しい鳥だった。
(『岩波現代短歌辞典』)
山茶花の散り重なりて土濡れぬ  原田種茅
(『講談社版 カラー図説日本大歳時記[座右版]』 昭和58年)
のびきりし鴨の首やな水をたつ  高浜年尾
(『カラー図説 日本大歳時記[冬](旧版)』昭和57年)

   亡き人々を夢に見て
夢に見れば死もなつかしや冬木風
(『決定版富田木歩全集 全壱巻』
   新井声風編著 世界文庫 昭和39年)
 ベンチに座って横を見るとほんのちょっぴりの岩場。
もう山を登ることは出来ませんが,少しだけ気分を味わいました(^ー゜)
 ふるはたの岨(そは)の立つ木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕暮 (『山家集』997)

 この歌はその荒涼感で古来人を惹きつけてきた。
よく取り上げられ,知名度も高い代表作の一つである。
「岨(そは)」は斜面,はずれ,崖地などを言葉だが,これを傍,そばとする解釈もあるようだ。
また「すごき」は現代濫用されている俗語「すごい」の方に連想がゆきやすいが,
実はすでに古語としても「寒くて身にこたえる」「おそろしげである」の意で用いられていた。
とはいえそれらよりも,西行が鳩の啼声を「友呼ぶ声」と聞きとっていたことに見すごせないものがある。
 それは詩情を誘い出すような自然の声でもなく,雄と雌が呼びかけあう求愛の声でもない。
西行はそういうものとしては聴き取っていない。
おそらく西行が我が身の孤独を旅路のあいだ,たえず感じていたのだろう。
しかしこのとき内なる孤独は外に向かう。
外界におのれの対応物をさがし求めるのである。
こうして啼いている鳩に,救いがたいまでの孤独が直覚されることになった。
孤独な存在が呼び求めているのがこの場合「友」なのである。
孤独が孤独に呼びかけている――これは「友」が「友」を求めているということにひとしい。
これが「ふるはたの」から読みとってゆくことのできる西行の世界の内的な相であった。
(『西行』)
今日は,循環器科の主治医の先生の診察日で
午後から来ましたが,結構寒かったです。
公園に来た時に運動部の若者が坂道でダッシュの練習をしていました。
σ(^_^;が帰る時に若者たちの練習も終わったようで,肩を組んで記念撮影p(^-^)q