2015年12月17日木曜日

清水寺へ(*^。^*)

朝一番に病院で血液検査を受けた後,京都にやって来ました(*^。^*)
通り道に「六波羅蜜寺
 「平清盛公乃塚」(左)「阿古屋塚」(右)
本当は空也さんに会いたいけど我慢して…
いつもお土産を買う 「みなとや幽霊子育飴本舗
 飴かい幽霊」という伝説があります。
お昼の時間になったのでとろろごはんをいただきました(*^。^*)
Kazeには嬉しいメニューです♪
鴨さんの「東山を静かに 建仁寺からSAGANへ」で紹介されていて気になっていたお店。
鴨さんがおすすめするだけに素敵なお店でした(*^^)v
こちらも鴨さんが“洛東散歩はハッピー六原「あさの」のパン”で紹介されていました。
記事を読んでいると鴨さんにはこんな側面もあるのだと(^v^)
カフェ「SAGAN」さんでお腹がいっぱいになったので次回の楽しみです(*^。^*)
六道珍皇寺を通り過ぎて…

清水坂をゆっくりゆっくり上がって行くと
「重軽石(おもかるいし)」
前回は,撫でただけでしたが,今回は持ち上げてみようと…
でもギックリ腰を誘発しそうなので無理をしない程度にしました。
と言うのは,手を伸ばさないと持てない…

経書(きょうしょ)堂は,往時小石に経文(きょうもん)の一文字を書き,
水をそそいで死者をとむらったところで,
ここが現世(げんせ)と冥界(めいかい)の境界と意識されていた。
(『京都洛東・洛南散歩24コース』)
清水寺はやはり大勢の観光客…
清水寺の本堂に向かう前に…
前回も訪ねた地蔵院善光寺堂の
「首振地蔵」さん
願い事のある方向に首を向けさせていただきました(*^。^*)
祠の中には先代の首振地蔵さん?
境内を散策するのは久しぶりです…
鐘楼の「梵鐘(ぼんしょう)は現在五代目」だそうです。
柵があって確認できなかったのですが…

坂上田村麻呂が妻の安産のために鹿の腹子がほしいと,狩をしにこの地に来た時,
滝(音羽の滝)の所で延鎮上人に出会います。
彼は上人に「そんな殺生をしないで,観音様を信仰せえ」といわれ,
入信して,鹿を鐘楼(鐘つき堂)の西隣に埋めたので「鹿間塚」ということになったのです。
(『京都障害者歴史散歩』藤本文朗・藤井克美編/文理閣 1994年)
千体石仏群(せんたいせきぶつぐん)
明治の廃仏毀釈の際に,捨てるに忍びないと,
地蔵信仰の篤い京都市民から寺に運び込まれたものです。

轟門の北側には耳がよく聞えるようになる柱があります。
柱のくぼみを手でなぜて,自分の耳にあてがうとよいのだそうです。

(『京都障害者歴史散歩』)
とあったので楽しみにしてましたが解体修理中でした(+_+)

 「鉄の錫杖(てつしゃくじょう)と高下駄」に学生が挑戦していましたp(^-^)q
 実はσ(^_^;高所恐怖症…
清水の舞台から飛び降りる」なんて…

一人で来たσ(^_^;は素通りをしたので
鴨さんの「思いっきりパワスポへ 地主神社」を参照してください(*^O^*)/




長い行列でいつもは諦めるのですが…
初めて落ちる清水を柄杓に汲みました(*^。^*)

一番の目的地です。
阿弖流為 母禮之碑」には(年号の表記などを変えています)

八世紀末頃まで東北・北上川流域を日高見国(ひたかみのくに)と云い、大和政府の勢力圏外にあり独自の生活と文化を形成していた。
政府は服属しない東北の民を蝦夷(えみし)と呼び蔑視し、その経略のため数次にわたり巨万の征東軍を動員した。
胆沢(いさわ:岩手県水沢市地方)の首領、太墓公阿弖流為(たのものきみあてるい)は近隣の部族と連合し、この侵略を頑強に阻止した。
なかでも789年の巣伏(すぶせ)の戦いでは勇猛果敢に奮闘し征東軍に多大の損害を与えた。
801年、坂上田村麻呂は四万の将兵を率いて戦地に赴き帰順策により胆沢に進出し胆沢城を築いた。
阿弖流為は数十年に及ぶ激戦に疲弊した郷民を憂慮し、同胞五百余名を従えて田村麻呂の軍門に降った。
田村麻呂将軍は阿弖流為と副将磐具公母礼(いわくのきみもれ)を伴い京都に帰還し、蝦夷の両雄の武勇と器量を惜しみ、東北経営に登用すべく政府に助命嘆願した。
しかし、公家達の反対により阿弖流為・母礼は802年8月13日河内国で処刑された。
平安建都千二百年に当たり、田村麻呂の悲願空しく異郷の地で散った阿弖流為・母礼の顕彰碑を清水寺の格別の厚意により田村麻呂開基の同寺境内に建立す。
両雄もって瞑さるべし。

1994年11月吉祥日    
関西胆江同郷会 アテルイを顕彰する会
関西岩手県人会 京都岩手県人会
『徒然草』の第七段の冒頭に

(*1)あだし野の露消ゆる時なく,(*2)鳥辺山の煙(けぶり)立ち去らでのみ住み果(は)つる習(なら)ひならば,いかにもののあはれなからん。(*3)世は定めなきこそいみじけれ。
(*1)京都市の嵯峨の奥,愛宕山(おたぎやま)の麓にあった,昔の墓地。
(*2)京都市の東山にあった,昔の火葬場。「立ち去る」は,
上の「消ゆる」とともに,死にゆくことに喩(たと)えている。
(*3)人間の寿命の不定なことこそ妙味あるものなのだ。
(『新訂 徒然草』)
 5月に来た時と同じように下って行きました(*^。^*)
鴨さんの記事 「京の細道 柳小路とトンネル小路」と
静かなる夜の石塀小路」を参考にしてください。
前回訪ねた時に気になっていたお店。
戸を開けると着物姿の綺麗な女性が出迎えてくださったのでドギマギしました(・_・;)
小さなお店で靴を脱いで上がります。
気おくれしていたのですが,「さむくなりましたね」と気さくに声をかけていただいたので
心臓を悪くして,寒い季節は苦手ですとお話しました。
素敵な感じでまた機会があれば寛ぎたいなと思いました(*^。^*)