2015年9月17日木曜日

大阪市立美術館~道頓堀

今日は,車を点検に出していることと雨の予報だったので
環状線の「寺田町駅」で下車(^v^)

寺田町駅は昭和7年(1932年)7月,国が城東線(現・大阪環状線)に開業した。
担当者は「壁にじかに駅名を書いた表示板が見つかった例は聞いたことがない。
開業~昭和20年代に作られたのではないか」と話す。
鉄道史に詳しい羽森康純さん(86)は
「壁板や金具の形,字体から開業当時のものと推測される。貴重な鉄道遺産だ」という。

(A紙「壁に駅名「味がある」昭和な表示板 大阪・寺田町駅」2015年9月4日)
鶴橋駅寄り(北出口側)にありました。
天王寺駅で降りて
旧黒田藩蔵屋敷長屋門
現在中之島三井ビルの場所がおおむね福岡黒田藩の屋敷でこれはその長屋門である
数少ない蔵屋敷遺構の一つで昭和8年三井ビル建設に際し大阪市に寄贈された

美術館を訪ねる前に……
「管理道路に付 通行できません」の掲示があるのですが…
「 花のあらしに散るを見て
  事しあらば我が大君の大御為(おおみため)人もかくこそ散るべかりけり

という,佐久良の和歌を刻む立派な石碑が建立された。
和歌は佐久良の直筆が残っていなかったので,乃木希典(のぎまれすけ)の書いたものをそのまま使ったという。

(『幕末歴史散歩 京阪神篇』P77より)
こんな史跡があるのに通行止めをするのはおかしいです!

佐久良東雄(さくらあずまお)は,坐摩(ヰカスリ)神社の祝部(はふりべ)として奉仕しました。
桜田門外の変で高橋父子に捕吏が迫ったのと同じ万延元年3月23日の朝,佐久良も呼び出しを受けて奉行所留置となり,そのまま松屋町(大阪市中央区)の牢に投ぜられるました。
その後江戸に護送され
「吾,徳川の粟(ぞく)を食(は)まず」
と,絶食を続けたため,6月27日になって痩死(そうし)してしまう。亨年五十。
(『幕末歴史散歩 京阪神篇』より)
撮影できませんでしたが公式ホームページで主な作品を見ることができます。
好きな画家の作品がたくさん出品されていました!(^^)!

北川民次(きたがわたみじ)の「夏の宿題」1970(昭和45)年の絵の中にこんな文章が
シュクダイがないと 子どもは 何を考えていいか分からなくなると 
ヂオの先生がいいました。
ナニが私たちを こんなにしたのでしょうか。

また気になった図録の解説を幾つか紹介します。

林倭衛(はやししずえ)
 「出獄の日のO氏」1919(大正8)年
モデルは無政府主義者大杉栄。
意志的な眼差し,無造作な頭髪,秀でた額,こけた頬といった特徴的な風貌を素早いタッチで描く。
収監された大杉が釈放された日に友人宅を訪ね,その場で描いたという。
一面の赤い背景のよってモデルがひときわ印象的となる。
画面にはサインとともに「同志大杉,釈放されし日,1919年8月17日」とフランス語で記す。
本作は第6回二科展に入選したものの官憲から撤去を命ぜられ,大杉を巻き込んだスキャンダルとなり,混乱を恐れた林は結局展示を取りやめた。(K)

伊谷賢蔵(いだにけんぞう)
「楽土建設」1940(昭和15)年
現在の河北省張家口市に取材したものとみられる。
「王道楽土」は満州国建国のスローガンで,満州の緩衝地帯として軍事行動が行われた華北地域でも盛んに活用された。
画面は日を浴びて明るく,華北地方特有の乾燥した空気を巧みに表現するが,人々の視線は一様に下を向き,日の丸を手にする少女らの表情も不安げである。
作者の現地人に対する冷静なまなざしを見て取ることができよう。(K)

吉原治良(よしはらじろう)
「空」1943(昭和18)年
時局に賛同する報国的絵画がもてはやされ,「誰が見ても分からぬ芸術家だけが価値ありとしても,実に馬鹿らしい遊び事である」,「言ふことを聴かないものには配給を禁止してしまふ」といった陸軍情報局高官の発言がなされるなか,抽象絵画を描く画家たちは苦難を強いられる。
事実,九室会もこの年,活動を禁止した。
画面全体をおおう濃青色の暗欝な空を黒雲が飛び,稲妻の閃光が走る。
しかし,右下の白い雲や赤茶けた大地の地平線にかすかにうかがえる曙光からは,暗い時代はいつまでも続かないだろうとする画家の予感も見てとれる。(S)

これらを転記しながら,この空気は,まるで現在だなと思いました。
支配者は自分が理解できない芸術や文学を毛嫌いしますね…
ある市長さんは「民主主義を進めた」などと自画自賛されていましたが
気に入らないと補助金をカットしたり,閉館にする。
政策について都合のいいことはいくらでも情報発信されるが
都合の悪いことが発信されないようにかん口令を発せられる。
資料にも批判が出て初めて反対論を併記する…

今の国会審議もどこを向いて行こうとしているのでしょうか…

意見の違う立場にどれだけ耳を傾けることができるかが人の上に立つ者の度量だと思いますし
それが民主主義だと思うのですが。
見学を終えて外に出ると本降り…
茶臼山古墳(前は河底池)を訪ねたかったのですが諦めました(2008年9月20日の記事)
天王寺動物園にも行きたかったのですが…
昔々よく行った「ジャンジャン横丁」を通り抜けて
道頓堀にやってきました(*^^)v
カツカレーを写してもいいですか?と聞くと
「どうぞどうぞ」と笑顔で答えた後の言葉
「私もですか?」とお姉さん(?)に突っ込まれたので
思わず「モデル料を払えないから」とたじたじになりました(^_^;)
店内はお客さんで一杯だったので


 はり重

道頓堀の南岸の旧九郎右衛門町で,モダンでハイカラな洋食の要となっていた牛肉精肉店が大正8年(1919)創業のはり重。
道頓堀側の1階は洋食グリル,2~3階がすきやき,しゃぶしゃぶのお座敷肉料理店,そして御堂筋側にカレーショップを附属直営している。
カレーショップは昭和34年(1959)オープン。
主力メニューのカレーライスにしろ洋食的牛丼のビーフワンにしろ,さしずめ当時からのファーストフードといったところだが,迫力の内装同様,昨今のファーストフード店には絶対にはその味を出せない精肉店直営の味だ。
入って向こう正面の藍色タイル,天井に渡された梁,花形の電灯,レジカウンターと,昭和を素晴らしく物語る内装である。

(『大阪名所図解』より)
 「道頓堀本店 カレーショップ
ご飯を少し残したので,次回訪ねるときは少なめにしてもらうことにしました(^_-)
はり重
太左衛門橋(たざえもんばし )
織田作之助の作品に『女の橋』『船場の娘』『大阪の女』という三部作」に登場する橋です。
その中でも『大阪の女』が好きです。後日,別のブログで紹介したいと思います。
雨の中で観光客がいっぱいでした(^v^)