2015年4月25日土曜日

岸和田風月堂~クラス会

駅のホームにあった駅蕎麦を見ると「山菜蕎麦」があったので(*^-^*)
 特急「ラピート」が入ってきました(乗りません(*^ー゜)…)
岸和田駅に着くとお昼時(^_-)
 カイさんの記事「☆オムライスの後に。。。宵宮戎!!」で紹介されていた。
NO-DA(ノーダ)
300円オムライス+サラダ+珈琲=600円のセットを食べました。
アツアツ…ホクホク…カリカリで美味しかった(^_^)v
岸和田城跡(府史跡)
岸和田城は,猪伏山滕(いぶせやまちきり)城ともよばれ,平城(ひらじろ)で本丸・二の丸の石垣と堀が現存する。
1597(慶長2)年創建の外観5層の天主閣は,1827(文政10)年に落雷により焼失し,1954(昭和29)年に鉄筋コンクリート造りの3層で再建され,内部は資料展示室と望楼になっている。
本丸隅櫓(すみやぐら)跡に立つ岸和田市立郷土資料館は,平安時代後期の木像阿弥陀如来坐像と江戸時代前期の紫糸威伊予札四枚胴具足(むらさきいとおどしいよざねよんまいどうぐそく)(ともに府文化)を所蔵している。
1640(寛永17)年に松平康映(やすひで)が播磨国山崎(現,兵庫県宍粟(しそう)市山崎町)に転封(てんぽう)したのち,摂津国高槻(現,大阪府高槻市)より岡部宣勝(のぶかつ)が入城し,1871(明治4)年の廃藩置県まで,岡部氏13代が岸和田の地を支配した。

ごんばこ
コンクリート製ゴミ箱が多数あり,修復され大切に使われている。
多数の“ごんばこ”が現役で存在する岸和田に,専門家も関心を寄せている。
 紀州街道本町一里塚(一里塚善財天)
一里塚とは,江戸幕府の命により慶長9年(1604),
江戸の日本橋を五街道の基点と定め,
36町歩を一里と定め一里ごとに塚を築造し,
榎,松などを植えさせたのが始まりだといわれる。
紀州街道は(*)脇街道,紀州往還道であるため,
大坂の高麗橋を起点として和歌山城下まで一里塚が設けられていた。
由緒によれば弁財天は元々は
一里塚に植えられていた松の下に小祠があったのを,
天保7年(1836)8月頃に弁財天として社殿をつくり
現在の所に遷座したものとされており,
現在も街道を往来する人々を見守り続けている。
*)主要街道(五街道)に対し補助的な役割を持つ街道。脇往還とも言う。
きれいな街の風景に感動しながら歩いていました(*^-^*)
なんか無造作に置かれているようで
街の風景にピッタリとはまっているp(^-^)q
この建物は病院でした!
町家にそれぞれ案内の札がありました。
まちづくりの館
館内のスタッフの方にお話をお聞きしました。
その方のお話を聞いていると町を愛していることがよく分かりましたし
まちづくり館のHPを見ると,いろいろと活動している様子がよくわかります。

そうそうこんな案内板もありました(町家を撮すのを忘れたのですが(^^ゞ…)

吉田松陰の逗留(とうりゅう)地
嘉永6年(1853)2月,長州藩の尊皇論者・思想家である吉田松陰は
大阪沿岸の警備状況を視察するために森田節斎(せっさい)と岸和田を訪れ,
塩屋平衛門宅(現久住家)に滞在した。
松陰は,岸和田に滞在中,藩儒でもあった相馬九方(そうまきゅうほう)ほか藩士らと,
藩校講習館の一室で囲炉裏を囲み,茶を飲み,せんべいをかじりつつ,
夜を徹して時勢や詩文について議論を重ねた。
この時,松陰は頻繁に姿を現すようになった外国船に対し
海防が手薄であることを繰り返し説いていたといわれている。

円成寺
円成寺は真宗大谷派の寺院である。
寺の始まりは,信濃の国の武士,加藤主計(かずえ)が,
本願寺証如上人のもと出家して法名を釈専称と号し,諸国を遍歴した。
ようやく天文5年(1536),岸和田村に坊舎を建立し,
人々に浄土真宗の布教を行ったのが始まりとされる。
その後,江戸中期頃,本堂・表門・庫裏等を増改築して,
長きにわたり専修念仏の道場として今日に至っている。
現在でも紀州街道の景観を構成する上で欠かせない寺院であり,
町家と一体となった景観は,守り伝えてゆきたい岸和田城下町の風景の一つである。

今日の最初の目的地p(^-^)q
岸和田風月堂
お父さんが亡くなった後,店を引き継いだ息子さん(五代目)。
27歳独身ですよ(*^O^*)/
一緒に行った女性軍が「お父さんにそっくりで,いい男やな!」と…(^_-)
恥ずかしがっていた奥さんを,
女性軍が「私たちと一緒ならいいでしょう!」と引っぱり出しました(*^ー゜)
級友(四代目)の表彰状がありました。
今回参加できなかったO先生に「泉州銘菓セット」を送っていただくようにお願いしました。
城下町特有の曲がりくねった道が続いていました。
旅館「不動口館」の前にはレトロな郵便ポストがありました。
シャガ
集合時間にまだ間があったので散歩に出かけました。
犬鳴山(七宝瀧寺、温泉街、行者の滝、ハイキングコース)
穏やかな表情の布袋さん
役行者(えんのぎょうじゃ)・前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)像


マクロレンズを持ってくればよかった…

みんなは「両界の滝」まで登っていきましたが,
Kazeは途中で引き返しました!
スギ
「押揚岩」
上に乗っているのはウバメガシ
クラス会の時間になりました♪
O君の「第2学期中間考査」の成績…
赤字は欠点…
このファイルは,恩師の先生に見せてあげたいと持参した成績表や始末書などなど……。
始末書のには……
3年4組○○○○君につきまして頭髪が長すぎて
高校生らしくない髪型なので散髪してくるように注意しました。
生徒手帳にも「頭髪は高校生らしく清潔に保つこと。
男子は襟にかぶる長髪は禁止する。」と規定していますので
ご家庭でもご注意いただきたくご連絡申し上げます。


クラスの中で今でも伝説となって語られている
生ニンニク焼き事件」の始末書は保管していなかった(*^▽^*)
O君のご両親は,仏さまのように優しくていつもニコニコされていた。
高校時代,大学時代と甘えて何度も泊まらせていただきました。
卒業式の「3ヶ年皆勤賞」「大阪市教育委員会賞」「大阪市立学校体育連盟賞」受賞者
(赤線は我がクラス!9組あったなかで,学校・クラスが好きなメンバーが揃っています(*^▽^*)…)
ちなみに始末書を何度も受賞しているO君は「3ヶ年皆勤賞」!!!
部屋になんかを取りに行ってたりして参加者全員は写っていませんが…
男子10名(泊り5名),女子9名(8名)でした(*^-^*)
最後の方で「玉時雨」を一口ずつ
二次会は午前2時半くらいまで続いたようですが…
Kazeは,11時半に退散しました(*゜∀゜*)