2014年12月20日土曜日

京都国立博物館~白川

開館を待つ人が並んでいます。
京都国立博物館
今日は,こちらの「明治古都館」での展示はありません。
平成知新館」を訪ねました。

拝観したかったのは
京都の平安・鎌倉彫刻 」の中でも「宝誌和尚立像」と
大阪・天野山金剛寺の本尊脇侍の「不動明王坐像」ですが,
他の仏像なども見応えがありました(*^_^*)
この円の印は方広寺の柱跡です。
また「南蛮漆器」も興味深かったです。
館内は撮影禁止ですが,
黒曜石も銅鐸も撮影OKでした(^_-)
京都ですね!外国からの来館者も大勢来られていました。
京都タワーも見えますね(*^_^*)
前回,来た時はくたくたでした
今回は,ゆっくりと見ることができました(^_^)v
七条駅から電車に乗って三条へ…
40年ほど前,学生の頃は,もっと存在感があったのですが…
なんか埋没しているような…
高山彦九郎 皇居望拝之像
江戸時代,ここ三条大橋は東海道五十三次の起終点にあたり,往時の都の出入口であった。
今ここにある銅像は,高山彦九郎正之(1747年~1793年)の姿を写したものである。
高山彦九郎は,群馬県の出身である。
18歳の時以来,前後五回,上洛したが,京都に出入りする折には,この銅像の姿のように,京都御所に向かって拝礼した。
その姿は
  大御門(おおみかど)その方(かた)向きて橋の上に
     頂根(うなね)突きけむ真心たふと
             橘 曙覧(たちばな あけみ)
と和歌に詠まれた。
明治維新を成就した勤皇の志士達は,彦九郎を心の鑑と仰いだと言われる。
 後,明治の中頃の俚謡(りよう),サノサ節には,
     人は武士
     気概は高山彦九郎
     京の三条の橋の上
     遥かに皇居をネ伏し拝み
     落つる涙は鴨の水アサノサ
と謡いつがれた。
  京都市観光部振興課
  高山彦九郎大人顕彰会寄贈

てくてく歩いて白川にやって来ました。

やってきたのは「餅寅
光秀饅頭
教養の深いお茶人の〝明智光秀〟様をイメージして作りました。
桔きょうの紋を押させて戴いております


左が「抹茶 光秀饅頭(京風白みそあん)」で右の茶色いのが「黒糖 光秀饅頭(粒餡)」
Kazeは,抹茶の方を1個買いました(*^▽^*)
ここを訪ねた目的は
明智光秀の塚
天正10年(1582年),本能寺にいた主君の織田信長を急襲した明智光秀は,すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ,
近江の坂本城へ逃れる途中,小栗栖(おぐりす)の竹藪で農民に襲われて自刃,最後を遂げたと言われる。
家来が,光秀の首を落とし,知恩院の近くまできたが,夜が明けたため,この地に首を埋めたと伝えられている。
   京都市

残念ながら光秀の木像は拝むことはできませんでした。
お隣の地蔵さま?
蹴上に向かって歩いて行きました。
今日のお昼は大衆食堂の「みふき亭」です(^_^)v
「肉カレーうどん」(600円)をいただきました(^_^)v
食べている最中から汗が出るほど温まりました。
お店を出ると雨が本格的に降ってきたので無理をせずに帰宅しました。