2014年1月12日日曜日

下鴨神社

「初えと祭」が終ったのが12時近くだったので
ランチに選んだ洋食屋さん(^_-)
スープで体が温まりました(*^-^*)
最近,食事を始めると
おなかがゴロゴロ鳴って不安になります…
でも,美味しく最後まで食べることができました♪
下鴨神社の近くにある昔ながらの洋食屋さん「グリル生研会館  」
http://www.trip.kyoto.jp/spot/db/guriru-seikenkaikan/
入店したときは,お客さんが少なかったのですが
すぐに満席になり,順番待ちの人が…
再び下鴨神社に戻り見上げると大きなイチョウの木
その下の輪橋(そりはし)には銀杏の実が残っている
井上社 別名 御手洗(みたらし)社
祭神 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
例祭 土用の丑(うし)の日

この社の前身は,「三代實録」,元慶三年(879)九月二十五日の条をはじめ諸書に見える唐崎社である.
賀茂斎院の御禊や解斎,関白賀茂詣の解除に参拝になった社である.
元の社地は,高野川と鴨川の合流地東岸に鎮座のところ,文明の乱により,文明二年(1470)六月14日焼亡したため,文禄年間(1592~96)に,この所に再興となった.
また,井戸の井筒の上に祀られたところから井上社と呼ばれるようになった.
賀茂祭(葵祭)に先だつ斎王代の御禊の儀は,この社前の御手洗池で行われ,夏の風物詩土用の丑の足つけ神事,立秋の前夜の矢取りの神事はともに有名である.
土用になれば,御手洗池から清水が湧き出ることで七不思議の一つにも挙げられ,池底から自然に吹き上がる水泡をかただったのが,みたらし団子の発祥と伝えられている.〟
(説明板を転記していますが,誤記があると思いますのでご注意ください(^^ゞ…)


梅の木に苔が生えていて
なんか人が腕を伸ばしているみたい(*^▽^*)
輪橋(そりはし)と光琳(こうりん)の梅
尾形光琳(1658~1716)が,このあたりを描いたのが「紅白梅図屏風(国宝)」である.
以来,この梅を「光琳の梅」と呼ばれるようになった.〟
満腹なので食べられないのですが
御手洗社にお詣りしたのだからお土産を買わなきゃ(*^ー゜)
再び境内に戻り

重要文化財 出雲井於(いずもいのへの)神社
祭神 健速須佐乃男命(たけはやすさのおのみこと)
例祭日 十月十四日
『延喜式』に『出雲井於神社』とある神社で「日本書紀」神武天皇二年の条に葛野主殿県主部(かどのとのもりあがたぬしべ)とある人々が祖神としてお祭りした神社です.
古代山城北部に住んでいたこの県主部たちは,鴨氏と同じ祖先に属し「神亀三年(726)山背国愛宕郡出雲郷雲上,雲下里計帳」(『正倉院文書』)で知られる人たちです.
大宝令(700)以降,山代国葛野郡は四つに分割され,鴨川と高野川の合流点より東山,北山までの地域が愛宕郡となり鴨川の東岸が蓼倉郷,西岸が出雲郷となりました.
「井於(いのへ)」とは,鴨川のほとりのことで,出雲郷の鴨川のほとりの神社という意味です.
承和二年(844)二月二十日,太政官符によって定められた鴨社領出雲郷の総社でありました.
その地域の氏神社,地主社としての信仰が厚く,通称を比良木(ひらき)神社と呼ばれています.
また,厄年の御祈願としてこの神社の周りに御献木すると,ことごとく柊になってお願いが事が叶う「何でも柊」と呼ばれ,京の七不思議になっています.
特に古来より,お祭りに「お茶」を薬草としてお供えされるところから,お茶の神様としても信仰されています.
さらに「ヒラキの牛王宝札(ごおうほうさつ)」という特別御祈願符がいただけます.
現在の社殿は寛永六年度(1629)式年遷宮の時,先の式年遷宮(天正九年[1561])に造替された御本宮本殿が移築され,当神社の中では最も古い貴重な社殿です.
重要文化財 末社(北社)岩本社 住吉神(すみよしのかみ)
重要文化財 末社(南社)橋本社 玉津島神(たまつしまのかみ)〟
相生社を裏側から見ると絵馬が納められています.
相生社のお詣りには独特の方法があります.
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/aioisya.html
〝流鏑馬神事の行事の告知と補助金集めのためがんばっております.
ご協力いただける皆様は,おいくらでもけっこうですので,馬達ににんじん代のご寄付を宜しくお願い申し上げます.〟
伝統行事を守るために人も馬も頑張っています!(^^)!
馬場
葵祭の前儀として毎年5月3日に「流鏑馬神事」が行われています.
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/pg52.html

 


河合神社にやってきました.

長明の方丈
鴨 長明は,五十歳のときすべての公職から身をひき大原に隠とんした.
その後,世の無情と人生のはかなさを随筆として著したのが『方丈記』である.
大原からほうぼう転々として,承元二年(1208),五十八歳のころ(現在,京都市伏見区日野町)に落ち着いた.
各地を移動しているあいだに「栖(すみか)」として仕上げたのが,この方丈である.
移動に便利なようにすべて組立式となっている.
広さは,一丈(約三メートル)四方.約二.七三坪,畳,約五帖半程度.
間口,奥行とも一丈四方というところから「方丈」の名がある.
さらにもう一つの特徴は,土台状のものが置かれ,その上に柱が立てられていることである.
下鴨神社の本殿もまた土居桁の構造である.
この構造は,建物の移動ということを念頭に柱が構築されるからである.
下鴨神社は,式年遷宮により二十一年ごとに社殿が造替される自在な建築様式にヒントを得たものといわれている.〟

女性を守る美麗の神様.
「鏡絵馬」をご自分の鏡に見たてて,願いを込めてお化粧をした絵馬が可愛いですよ(*^-^*)
六社(むつのやしろ)の屋根に苔
 〝三井社(みついしゃ)[別名 三塚社]
中社 賀茂(かも)建角身命(たけつぬみのみこと)
西社 伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)
東社 玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)
古い時代の下鴨神社は,古代山代国愛宕(おたぎ),葛野郷(かづぬごう)を領有していた.
その里には,下鴨神社の分霊社がまつられていた.
この社は,鴨社蓼倉郷(たてくらごう)の総(祖)社としてまつられていた神社である.
摂社三井神社「風土記」山城国逸文(やましろのくにいつぶん)「鴨社」の条の「蓼倉里(たてくらのさと)三身社」とは別の社である.〟
コサギ
前を行く若い女性は,着物姿にブーツ&ヘッドホーン,バッグ
堂々と歩いていていいな(*^-^*)